1998年にキューバ旅行をしたとき、街のいたるところでこのアルバムの収録曲が聴こえてきたものです。 思い入れがありすぎると物事を客観的に評価できないことがありますが、僕にとって、パウロのこの作品はそんな1枚になっていました。 それから8年近く経ってみて、この作品がいかに素晴らしい出来だったのかを再認識しています。
Pablo Fernández Gallo(パウロF.G.)は、1980年代後半にオルケスタ・レベから独立したダン・デンのボーカルに加入した後、アダルベルト・イ・ス・ソンに参加。すぐに、Joaquin Betancourt率いるOPUS13に移籍します。 そして、現在では凄腕プロデューサーとして活躍しているサックス奏者のJuan Manuel Cerutoと共に、OPUS13のメンバーを引き抜き、自身がリーダーのPAULO Y SU ELITEを立ち上げます。 1993年には、エネヘ・ラ・バンダと共に若手の代表として初来日。90年代半ばにはバンバン、アダルベルトに並ぶトップ・グループの仲間入りを果たしていきます。
デビューから数えて4作目に当たるこの作品は、前々作「Sofocándote」、前作「El bueno soy yo」と徐々にOPUS13カラーから脱皮し、進化してきたサウンドの集大成ともいえる内容で、楽曲、演奏共に最高なものとなりました。 バックも、ベースのJoel Dominguez、トランペットのAlexander Abreuなど凄腕が揃っています。また、ギターを入れているのも特徴といえます。
老舗オルケスタからボーカリストが独立するのは珍しいことではないのですが、パウロのように長期に渡って成功したアーティストはイサック、マノリンと数える程しか見あたらず、ごく少数。 パウロの人気の秘密はその甘いルックスと声にあるという見方もありますが、作曲能力の高さこそ評価すべきなのではと思います。
ソウルフルなナンバー1.Con La Conciencia Tranquila。哀愁あるメロディから後半は重みのあるモントゥーノに展開する3.Entre Dos Amigos。ファンキーなダンス・ナンバー5.Llamada Anónima。女性ファンを泣かる7.Desacuerdoのバラーダ。ミディアム・テンポが心地よい8.No Me Puedo Enamorar。ラストは明るいメロディが印象的な11.De La Habana。全編を通して圧倒的な完成度の曲が大変多く収められています。 パウロの最高傑作であるばかりか、ティンバ・スタイルの作品群においても珠玉の名盤といえるでしょう。
この作品の後、パウロはスタイルを変え、POPナンバーやボレロなどを多く取り上げるようになります。今になってみると、この作品の頃のパウロが最高に充実していた時期なのではないかと感じてしまいます。
(福田 カズノブ ★ 2005/02/07)
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