新しきは古いものを否定することでその存在感を誇示し、 古きは昔のほうが良かったと懐古主義に陥る。 そのようなことが往々にしてあるものですが、 キューバ音楽においては、 新旧両者がお互いに尊重し合い、素晴らしい物を創り出すことがあります。
1998 年にリリースされた 「 Para Bailar mi Son 」 はその代表的な1枚で、 名盤と呼ぶに相応しい作品です。
ローロ・マルティネスは、1935 年ハバナ生まれ。 1950 年代からプロとして歌い始め、幾つかのバンドを経て、 当時の人気バンド、コンフント・チャポティーンのコロとして参加。 その後、チャポティーンの看板歌手ミゲリート・クニーの後釜としてリード・ボーカルを担当、ベニー・モレ亡き後のバンダ・ヒガンテ、パチョ・アロンソ楽団なのでも歌っていました。 1959 年にはファースト・ソロを、1982 年にはボレロ・アルバムを発表しましたが、常に脇役で目立った存在ではありませんでした。
そのローロ・マルティネスが、当時人気絶頂のバンボレオを率いていたラサロ・バルデスを音楽監督に迎え、ソン・ボレロの名曲を取り上げたソロ・アルバムという企画がこの作品。
グルーポ・ライソンのトレス奏者エフライン・リオス、 バンボレオからはバニア、現チャランガ・アバネーラのベース奏者チャコン等が参加し、 スタイリッシュな演奏を繰り広げる中、ローロ・マルティネスはまるでバンボレオのリード・ボーカルであるかのようにいきいきと歌い上げています。
このローロ・マルティネス、実は 2002 年に長崎ハウステンボスで行われたハイラ・モンピエ&クバニスモのメンバーとして来日しています。 コンサート前の告知にはまったく彼のことが触れられていなかったので、ライブ会場で彼がメンバーの中にいることがわかった時には、嬉しい驚きでした。
古くからのキューバ音楽ファンにとっては、 ハイラ・モンピエ来日以上のニュースだったことでしょう。 ライブでは、年齢による衰えを全く感じさせない艶やかな声で、聴衆を魅了。 まだまだ現役ばりばりという姿を見せてくれました。
アルバムの各楽曲をみてみると、
1. La ruñidera は、ソンの有名曲ながらバイラブレなアレンジが光ります。
3. Mi son, mi son, mi son は、リリー・マルチネス作のチャポティーン楽団の代表曲。原曲に忠実な歌い回しが、ローロ・マルティネスのチャポティーン時代を彷彿とさせます。
4. Olvido は、ボレロの有名曲。ミゲル・マタモロスの代表曲をエレガントに歌い上げています。
5. Cienfuegos は、“ブエナビスタ”のイブライム・バージョンでも有名な曲。ですが、より現代的なアレンジに好感が持てます。
6. Echame a mi la culpa は、モダンなソン。中盤からうって変わってバンボレオ・マナーなティンバに展開するのが聴き所。
7. Como se goza en La Habana 、これもバンボレオ調のティンバ色が強い曲ですが、ボーカリストの個性次第でジャジーなコンテンポラリー・ソンになったという、まさに「融合」の力を感じさせる曲です。
11. En casa de Pedro el cojo は、アルバムのハイライトといえるナンバー。ビロードのようなローロ・マルチネスの声にバニアをはじめとするコロや演奏が盛り上げます。ソンとティンバの抱擁ともいえる最高なアレンジ、まさに名曲の名演奏でしょう。
全 11 曲からなる「 Para Bailar mi Son 」は、ソンからティンバへと脈々と続くキューバ音楽の大河が生んだ名作として忘れてはならない 1 枚といえます。
(福田 カズノブ ★ 2006/04/03)
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