メレンハウスの代表格、プロジェクト・ウノ。 いわゆるハウスのほうからメレンゲに歩み寄ったものではなくて しっかりとしたメレンゲがベースとなっていますから、彼らの場合 進化系のメレンゲと称する方がしっくりくるかも。 本作は1999年のリリースですから、初来日公演と時を同じくしたものです。
プエルト・リコ・ルーツとドミニカ・ルーツの混合4人組ですが 結局はラテン・ルーツのアメリカ人(しかもNY)なわけですから、若い彼らが いかに雑多な音楽に囲まれて、それらと規制の無い自由な付き合い方を してきたかということは、音を聴く前にも想像がつこうというもの。
日本のラテン愛好家の間でも、親しみやすい「ノー・パレ・シゲシゲ」の コールが大ヒットとなった’ティブロン’が1993年に出たということを考えると そこがすでに分岐点だったとも思えますが、ともかく 「4」で彼らは決定的にこのジャンルにおいて、自分達が トップの感性であり、テクニカルな面でも ボーカルやラップの魅力においても他の追随を許さない存在であることを 示したわけで、ここで彼らが見せつけたこと以上のものを、ではそれ以降 誰がやったのかといえば、2007年を迎えた現在でも良く分からないのです。
メレンハウスと称されながら、攻撃性を感じさせる場面も多々。 更には、しっかりとメロウ・グルーヴを醸し出すことも(♯4など秀逸)、 出来ており、「メレンゲ」というリズムが持つ単調さという宿命からも そ知らぬ顔で抜け出した彼らは ジャンルごとの希望が背負わされていた感さえあります。 当時、 ラテン界ではDLGという3人組が、同じような希望の元に サルサの未来を託されていたかのように見えていましたが プロジェクト・ウノにしても、DLGにしてもあまりに逸材過ぎたのでしょうか。 彼らがみせた発展のベクトルを引き継ぐものがほとんど現れなかったことは ラテンの進化の具合を著しくつまらないものにしてしまったように見えます。
この時期ラテン音楽は明らかに新しい波を作ろうとしており NYという都市において当たり前のように音楽が混沌とミックスされる中で ラテンの民族感を消失させること無く、垣根を飛び越えた感をもつ楽しさが 満ち満ちていました。 彼らの進化のスピードに付き合いきれる層が少なかったということもあるのでしょうが それからほどなくして NYのラテン界はオールド・スクール(という言い方で良いのでしょうか)へ 回帰していき、異端の楽しみはどんどん影を潜めていくのですが、この時期の 充実した発展ぶりは、いまだ再考の余地ある現象だったと思うのです。
(DJ KAZURU ★ 2007/01/15)
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