15 年以上前、1990 年代初頭のキューバ音楽は今とはだいぶ肌触りが違っていました。町を行く人々は物不足に苦労しながらも今よりもはるかに素朴だったと聞いています。音楽はというと、当時の世相を反映して何か未来に向けたきらきらしたものを捜し求めていた感じがします。
そんな時代に、キューバ NO.1 バンド、オルケスタ・レベのトップ・カンタンテだったユムリが兄弟達と結成したエルマノスは、デビューと同時にスマッシュ・ヒットを連発し、疾走感溢れる爽やかなキューバ型サルサで一躍人気者になっていました。
メンバーには、今やキューバを代表するソネーロとなったユムリをはじめ、イラケレを経て世界のトップ・アーティストとなったフルートのマラカ、日本のキューバ音楽ミュージシャンの重鎮ペドロ・バジェとトップ・トランペッターの大物、ルイス・バジェ、現チャランガ・アバネーラの音楽的中枢オスマニー、自身のバンドを率いて独自の道を歩むメロディ・メーカーのケーメルなどが在籍していたのです。
まさに、スーパー・バンドといえる布陣ですが 、このバンドが 1994 年、渋谷にあったライブ・レストラン 「 ムチャーチャ 」 に3か月滞在したことは、今から思うと奇跡的な出来事でした。
当時はまだ少数だったキューバ音楽ファン、そしてサルサ・ダンス・イベントも 「 100% サルサ・ナイト 」 がムチャーチャの隣のバナナ・ボニータで開催されていただけ。 ダンス・レッスンも数えるしか存在していなかったのです。
そんな時代に、どこからこの未知の音楽をかぎつけて集まってきたのか、それぞれの動機は分かりませんが、少なくとも感性の豊かなセンス溢れる人たちであったことは間違いありません。 それは、現在の日本でそれらの音楽やダンスを紹介している人達の主な人はすべてこの時代の体験者であるからです。
客もまばらで店の存続を心配する程だったムチャーチャでしたが、連夜ユムリ・バンドは強烈な演奏を繰り広げていました。 特にイラケレに在籍中だったマラカが特別参加したときのライブは想像を超える超絶セッションで、今でもあの音は何だったのかと思い出すことがあるくらいです。
その時の音がそのままパックされたのがこのユムリのファースト。当時の体験者も初めて聴く人も、一度大音量で聴いてみてください。10 年ほど前に、日本で連夜繰り広げた怒涛のサウンドが目の前に出現するはずです。
これが 1990 年代以降のキューバ音楽の原点なのです。楽曲は殆どがマラカのペンによるもの。どの曲もツブぞろいです。 しっかりとしたホーン・セクションにリズムを刻むことに徹したキーボード、新しいか古いかを通り越したものがあります。 3 曲目は現チャランガ・アバネーラのキーボード奏者オスマニーの作品。他の曲とは異なる魅力を秘めたナンバーです。
このファースト・アルバムはレーベルがなくなってしまったため手に入りにくいかもしれませんが、日本国内で展開したキューバ音楽の中では避けては通れない重要盤といえるでしょう。
(福田カズノブ ★ 2007/08/30)
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