トラディショナル時代から数えると第 3 期のスタートとなる Charanga Habanera の 6 作目 「 El Charanguero Mayor 」。
前作がティンバ史上最高の作品だったがゆえに、低めの評価になっていますが、他のバンドのアルバムと比べると間違いなく A クラスの内容。 この作品を前作との関係やこの作品以降の動向に焦点をあてて再評価してみたいと思います。
前作 「 Tremendo Delirio 」、前々作 「 Pa que se entere La Habana 」 が傑作となったのは、今から考えるとミッチェル・マサ、ダニー・ロサーダ、ダビ・カルサードというキューバン・サルサ、ティンバ史上の最重要アーティストを擁し、さらにベースのペドロ・パブロやピアノのファン・カルロス・ゴンザレスという後にディレクトールとして活躍するミュージシャンも在籍していたことが最大の要因だったのではと思います。
キューバのバンドはリーダーのもので他のメンバーは取替えがきくというのは表面のことだけで、やはり作曲、アレンジ、演奏能力、そして魅力あるボーカルがそれぞれ揃ってはじめて素晴らしいバンドが成立するのです。 そういう点からみれば、「 Tremendo Delirio 」時代の Charanga Habanera は、ダビ・カルサードが全てを仕切っていたわけではなく、音楽的なアイデアはメンバー内から生まれ出ていたと見るべきでしょう。 それを証明しているのは、この作品 「 El Charanguero Mayor 」 から音楽性が明らかに変わっている点。 ダビ・カルサードだけでは分裂以前の作風はできないので、新たなアイデアを捜し求めている過程がアルバムに現れています。
ここで分裂前後の状況を振り返ってみます。「 Tremendo Delirio 」 で人気、実績ともに Los Van Van を抜いてキューバ No.1 となった Charanga Habanera は、国営放送収録時に自ら事件を起こして半年間の活動停止を余儀なくされます。 この事件がきっかけとなってバンドは空中分解。チャランガ・フォレベルとダニー・ロサーダ・グループに分かれ、本体チャランガ・アバネーラは一時ミッチェル・マサが残っていましたが、最終的にダビ・カルサード一人になってしまうのです。
キューバン・サルサ、ティンバ史の視点からみれば、「 Tremendo Delirio 」 のメンバーでもう1〜2作リリースできていれば、そしてブエナ・ビスタ・ブームがこの時期から 5 年後にずれていれば、ティンバは世界の音楽ファンにその姿を現していたかもしれません。
事件後、謹慎が解かれたダビ・カルサードは、次々に新しいメンバーを集め、チャランガ・アバネーラはまったく新しいバンドに生まれかわり活動を再開します。 よくインタビュー記事でダビが 「 チャランガは常に若くフレッシュなミュージシャンだけでいく 」 と語っていますが、分裂事件でとらざるを得なかった路線変更とみるのが現実的でしょう。
普通のリーダーならばまさに失速してしまうところですが、新生チャランガは以前に劣らない人気を維持します。 ダビ・カルサードがキューバ屈指の実力をもったプロデューサーであることがここで証明されるのです。
新しいメンバーをみてみると、リード・ボーカルにバクレジェからダンテス、そしてこの作品以降チャランガのフロントを支えることになるアネ・モタとノエル、ピアノとボーカル、作曲にパチート・アロンソから NG を経て移籍のティルソ、ベースにバンボレオからチャコン、ティンバレスに天才少年ユリエン、サックスに後にチャランガの音楽的な要となるオスマニーという布陣。
第 2 期のチャランガの音楽性が 80 年代のソン・クバーノにソウルやファンクをぶつけてシェイクしたサウンドだったのに対し、この作品以降の第 3 期のチャランガは明らかにボーイズUメン張りのボーカルに疾走感溢れるモントゥーノをかぶせたサウンドに変化しています。
各曲を見てみると、ティルソ作の 4 曲目と 6 曲目が秀逸。彼の才能が作曲にボーカルに光ったのもこの作品の特徴。その他、ミドル・テンポの 7 曲目もいいアレンジになっています。
本作「 El Charanguero Mayor 」はダビ・カルサードが完全復活を宣言した力作として、第 2 期とは切り離して評価をするとかなり高得点な 1 枚なのではないでしょうか。
*この作品のオリジナルはマイナー・レーベルからリリースされたので、お求めはアオラ・コーポレーションの日本盤 CRACD140 をお勧めします。
(福田カズノブ ★ 2007/12/02)
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