「読まれる覚悟」
桜庭一樹 著。
タイトルを見た時、これは例の
桜庭氏と鴻巣友季子氏の
間で起こった誤読批評問題の
ファイナルアンサーなのかな、と
まず思いました。
その事件については
ここ
と、ここ
に詳しいので省きますが、実際読んでみると
その件とは別に
桜庭氏がデビュー前後から今に至るまで
「読まれる」立場であったために
どういう心情が生まれたかが
素直に書かれています。
否定的に読む人
肯定的に読んでくれているのに
誤読している人。
キャラクターへの思いが強すぎて
二次創作を始める人。
作家そのものを推しだと言う人。
そして売れなければあっという間に
書店の棚から自分が消えてしまうという
現実。
色々ある中で、ある本が
広く読まれていく為には
批評家による
文芸批評というのは重要になるわけで
ここにも男ばっかりが批評する側である
ということがつい最近まであったと言われれば
まったくそれも問題だと思うわけです。
批評する側が男社会で
女を上から見る構図が出来上がっていることを
ズバッと言ったのが、氷室冴子氏。
ほんの30年とか40年前だと思うのですが
あれだけセールスをあげていた作家が
女性だというだけで
本当に屈辱的なことを
言われていたことに驚きます。
これと並んで
「倉橋由美子」論争についても
私がちゃんと勉強して咀嚼しなければ
と、感じる事例でした。
さて、本書の終盤に
これを書かないわけにはいかないだろう
という前置きで、冒頭に挙げた問題に
桜庭氏はようやく触れるわけですが
「十年前、二十年前ならば
こうした議論自体が生じなかったと
思うんですよね。
ひとたび小説として世に出てしまえば
どのように評される可能性もある。
(中略)
その評の是非もまた厳しく
吟味されてしかるべきだと思うし
(中略)
この世間の反応は
僕には時代の変化だと思えた。」
(ますく堂なまけもの叢書
『李琴峰『言霊の幸う国で』を読む』)
の文章を引いて
時代が変化するちょうどその時に
起こった事件だったのかな、と
振り返ります。
再度行われる彼女の自己分析は
鋭く明快で、人気作家として
自分が持つ権力、声の大きさについても
そもそも実在の人物を小説として書くことの
暴力性にも向き合っており
素晴らしいと感じました。
そこから
「アップデートとは
新しいものをインストールするというより
自分が間違っていたと理解すること。
過去の自分の加害性を理解して
自分を変える努力をしないと
アップデートにはならない」
という言葉を紡ぎ出しているのです。
作家に何よりも大切なものが
誠実さであるなら、この人はやはり
誠実な人。
今後も彼女の作品を読んでいきたいものです。
DJ KAZURU
[…] 覚悟はあるか […]
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