前田豊 著
「玉の井という街があった」 拝読
向島百花園にいってから
なんとなく気になっていた
「玉ノ井」という場所。
いわゆる赤線、青線地帯として
戦前、戦後
栄えた街です。
これは、その玉ノ井が
どんな仕組みで動いていたか
どんな人が生活していたのか、の
ルポ。
わたくしは
最近、芸者文化に興味がおおきく
研究もしているのだけれど
そのせいか
金銭を介して女性と時間を
共にするっていうことは
ものすごく財産持ちしか
出来ないことのように思っていたのだよね。
現実に
かつての新橋芸者など
一流の女性を、自分のものに
するのは並の男では
出来ないことだったようです。
まず衣装やらなんやらで
お金がかかってかかって
仕方がない。そして
付き合い方にも新橋の流儀が
求められるから
うっかりしたことはできない。
しかし
玉ノ井はびっくりするような
安い値段が
女性につけられている場所でした。
安い賃金で生活している男が
安く女性を買う場所。
こういうものを読むと
つい最近まで女性は土地土地で
価格が定まっていたのだなあ、そして
安いところであればあるほど
雇い主に搾取されていたのだなあと
哀しくなります。
一流の新橋芸者は
芸も教養も高かったから、中には
今も語り継がれる有名な大臣や
総理の妻になった人も多いのに
かたや
玉ノ井の女たちの報われなさよ。
やはり遊郭として有名な
大阪の飛田のルポを描いた
井上理津子さんによる
解説もしみます。
(DJ KAZURU)
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