石上玄一郎という作家を
これまで知らずに来たのですが
素晴らしいですね。
高等学校で
太宰治と同級だったというわりに
漢字の用いかたが現代的でないので
だんだんと
読まれなくなっていったのでしょうか。
わたくしも
読みに戸惑う箇所が幾つも
ありました。
「千日の旅」は、アンソロジーですが
中でも「針」と「蓮花照応」が
ぐっと来ました。
浄瑠璃好きの自分としては
ハッとする文章が「針」の
ラストにあって
軽く悶絶。
···
ちかごろは昔とちがって
万事に舞台がひろく
なにごとも複雑になり
老人にはおいそれとわからぬことが
多くなってまいりました
あなた方のようなお若い方々から
御覧になると、文明開化の今日
しかもこの忙しい世相をまえにして
ひねもすのうのうと浄瑠璃などに
身を入れ、精魂をかたむけるなど
さぞや狂気の沙汰と思召すで
ございましょう。
まったくそのとおりでございます。
しかし
生き永らえて世間のことを
いろいろと見たりきいたり
人様からこれはこうだと
教えていただいたりしますと
妙なことを申すようですが
いまの世のあたらしく
めまぐるしいくさぐさのことも
かたちこそちがえ
姿こそかわれこれはいったい古来
語り伝えられた浄瑠璃のなかの
出来事ではあるまいか
あるいは
浄瑠璃のなかの世界がうつつになって
あらわれているのではないかと
疑われるようなことが
ままあるのでございます。
まことにこの世の一切は
神ともうしますか
仏ともうしますか
そういうおおいなるものの語る
ひとくだりの浄瑠璃なのででも
ございましょう。
ひとびとは
そのなかで傀儡のように
はかなくも愛憎し、哀歓し
怒ったり、とりすましたり
高慢ったり、泣いたり
笑いさざめいたりしながら
いつまでも同じことを
くりかえしてゆくのでございます。
世上の治乱興亡はともかくと
いたしまして、人の世のまことの姿は
つまるところいまも
昔もさして変わりがないのでは
ございますまいか。
DJ KAZURU
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