中島敦著
「南洋通信」拝読。
昭和15年からいよいよ
戦争に突入するまで
当時日本の占領下だった島々へ
官僚として赴任したときの記録です。
記録ではなく
妻と幼い子供に当てて書いた手紙ですが
風景の描写、そこに住む人たちとの
やり取りなどが目に浮かぶように
書かれており、小説のよう。
二年生の長男向けには
ひらがなを多用した文面で
それがなんとも高クオリティ。
中島敦はなかなかの病弱ぶりながら
世話をしてくれる周囲の人もいるし
気楽な感じで、日本から送らせた
ヨーロッパのビスケットをつまみつつ
文藝雑誌を読んだりして
ミクロネシアを満喫しています。
「土人」の学校教育について
例えば教科書編纂のようなことが
仕事だったようですが、いずれ
仕事を辞して作家専業になることを
狙っている時期です。
現地のフルーツを楽しみ
踊りを楽しみ、仕事というよりは
観察し
見聞を広めているようなもので
これが作家というものか、と。
解説で池澤夏樹氏が
宮沢賢治とならんで中島敦は
日本文学ではなく、世界文学の作家
と評していて、ほーと
思いましたが、「南洋通信」のあと
開戦とともに帰国し
昭和17年33才で死去。
帰国直前は、私的な手紙に
検閲が入るようになったことなどは
記されているものの
結局悲惨極まりない戦地と化した
「南洋」を知ることはなかったのですね。
あとから思えば
夢のよう、どころじゃない変化です。
····
土人の教科書編纂という仕事の
無意味さがはっきり分かってきた。
土人を幸福にしてやるということは
もっともっと大事なことが沢山ある。
教科書なんか末の末の
実に小さなことだ。
ところでその土人たちを
幸福にしてやるということは
いまの時勢では出来ないことなのだ。
今の南洋の事情では
彼等に住居と食べ物とを
十分与えることが段々出来なくなって
くるんだ。
そういう時に、今更
教科書などをホンノ少し上等に
してみたところで始まらないじゃないか。
なまじっか教育をほどこすことが
土人達を不幸にするかも知れないんだ。
土人が嫌いだからではない
土人を愛するからだよ。
···
DJ KAZURU
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