井手川泰子さんという人を知って
慌ててゲットした
「筑豊、ヤマが燃えていた頃」拝読。
言わずと知れた炭鉱の町の
記録ですが、どうも私が
漠然と思っていた筑豊とは
大分認識がずれているのでした。
炭鉱は
日本を豊かにしたものであり
そこには職があって大勢が暮らしていた
···くらいのものではないのです。
坑夫たちの仕事場は
一寸先は闇でしかない
危険な場所。
子供も女も長時間
働いていました。それでも
貧乏生活です。
パラッと岩盤が崩れる気配を
瞬時に察知して逃げるために
裸に手拭いくらいのものを
腰に巻いただけ、皮膚擦りきらしながら
這いつくばって働く、女性もです。
「女の辛抱を金で買った」と
言い残した炭鉱の主がいたそうですが
真っ黒になって炭鉱で働いて
家事労働もする女性たちが
いたから成り立ったエネルギー事業が
あったということを
日本人なら忘れてはいけません。
家族が爆発事故で死んだのを
きっかけに、食堂を始めた一家は
開業資金のために娘を一人
女郎奉公に出したそうです。
井手川泰子さんは
いわば、ただの主婦ですが
実際に家族の犠牲となって
奉公に出た女性も含め
こうした生活をした人々に
長期間聞き取りをし、地元に
資料館なども建て、後世に
伝えようとしている方です。
まるで「筑豊の石牟礼道子」だと
思いました。
これは100年前の話ではなく
1860年代まで続いていたことです。
https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/
NHKで特集されたものが
アーカイヴにもなってます。
見れば衝撃受けることでしょう。
DJ KAZURU
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