いとうせいこう 著
「夜を昼の國」拝読。
古典芸能というものは
ひとつの題材を、別の作者が
ちょっと話を変えて、また
芝居にする、ということは
往々にしてあります。
その元々の話が「実際にあった
心中事件」ということも。
「お染、久松」で上演をされ続けてきた
演目もそれに当たりますが、この
お染が、現代も同じ運命を
しょって生きていて、SNSで実名で
騒ぎ立てられることへの
憎悪を爆発させるストーリー。
SNSの話のようでいて
文楽の歴史の一側面を
見るようでもありました。
南北、や、近松半二は
「アカウント名」
演目のテキストを出版することは
「エントリー」
自分等の恋が本名で
さらされてることは
「アウティング」。
最高ですね。
お染の呪詛はラップのように
次から次へと吐き出され
だんだん快感のようなものすら
感じてきます。
古典芸能に造形深いいとうせいこう氏
だからこそ、書けた小説ですが
古典芸能ファンの中で
「何度も何度も繰り返し
恋の顛末をテキスト化されて
お染もつらいよねえ、プロバイダーに
削除してもらいたいような
案件だよねえ」
なんてことを
考えてみた人がいるでしょうか。
わたくしたちは
ただストーリーとして
享受してきただけです、もう
びっくりなんです。
···
わたしたちは嘘、デマ
中傷を懸かれる度、読まれる度、
何度も始まりの時に生きかえって
おなじ苦しい時を過ごす。
当事者いうのはそういうもんや。
ほんでこのわたしもせっかく
眠りこんどったのにまた起こされて、
これから書かれまくるテキストの中で
逆さ吊りにされて
目や鼻や口から血をぽたぽた
垂らすような拷問を受ける。
こんな地獄、何度繰り返せば
終わってくれるんやろ。
···
DJ KAZURU
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