
YOSHIRO広石といえば
わたくしがサルサ愛好に至る入口に立った頃
浜松町ロコロコ(ハコバンつきの
ラテンクラブ、まだ踊れる人は
少なかった)で出会った人なのです。
YOSHIROさんのタニマチの一人であった
紳士が当時の私のような女子大生に
奢りまくってくれたので
好き放題注文して
ロコロコで飲食してた時代が思い出されます。
しっかしこの自伝読むと
恐ろしいほど面白い人生を
歩んできた人だね、素晴らしい本です。
玉音放送のあった日のエピソードから
始まり、大衆演劇に憧れつつも
性的マイノリティを自覚し
自由な東京で芸能の仕事をすることに
憧れた少年期から話はスタート。
美輪明宏、朝丘雪路がもてはやされた
時代に、YOSHIROさんもまだ学生ながら
米軍キャンプ、ジャズバー、銀巴里に
出演。
数多くの文化人と顔見知りになるなか
三島由紀夫に
「30才までに死にたい、
若さがなくなるのが怖い」
と言ったところ、
「僕は40才までにそうしようと
思ってるよ」
と言われたなんてエピソードがありますが
これ、三島の常套句ですよね、先に
アンタが言ったんかーい!
ってなりました。
YOSHIROさんは三島の死について
皆が色々なことを言っているけど
どれも的外れな気がする、というような
感想をのべていますが、これは
三島に接した人は一様に言ってる気がします。
会う人ごとに別の印象をもたらす
三島って不思議な人ですね。
さて、YOSHIROさんは時勢にのって
アメリカンポップスとジャズで
活躍し、NHKの番組にも
出てたのですが、その流れで
「南国土佐を後にして」路線の
ヒットを狙う歌手に選ばれ
売り出そうと言うことになるも
「民謡歌謡なんて歌えない」と蹴り、
美空ひばりの企画も蹴り、
越路吹雪の企画も蹴り、
やっぱ
海外で歌いたいなーと、渡航計画をする
わけですが、
「あのときのヒットの一曲でもあれば
日本で活動しやすかったなあ」と
現在では後悔の念を抱いてるとのこと、
そりゃそうだ!
なんで蹴ったのよ!
さて、以上がこの本の序章部分ですので
どんなに面白い本かわかると思います。
1960年ですから、私も生まれてないし
彼と知り合うにはまだまだなんですが
海外のエピソードがクレイジーで
大笑いしながら読みました。
ラテン好き、と自認してる日本人は
全員この本買って歴史を
確認してくださいね。
それが仁義ってものだよ。
DJ KAZURU
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