松岡正剛 著
「サブカルズ」拝読。
松岡氏の鋭さには常に敬服。
千夜千冊シリーズはどれも新鮮な
気付きをもたらしてくれます。
ヒップ、クール、
ポップ、パンク、おたく。
この帯にある事象を様々な角度から
ズバッとやってくれています。
例えばアメリカのセラピスト
アン ウィルソン シェフの
「嗜癖する社会」という一冊から
導かれたのは以下の言葉。
・・・
われわれにはおそらく
「何かを欲しがる欲求」と
「何かが手に入らない諦め」と
「何かに見捨てられる不安」とが
つねに同居しているのである。
このことは、断言しておくが、すべて
素晴らしいことだ。困ることではない。
このような感覚が動かないでは
歌も学習も、
ファンタジーも信仰も、
食卓もサッカーもない。
仏教がこの三つから出発している。
「ほしがる欲求」と
「手に入らない諦め」と
「見捨てられる不安」が、
しばらくたって
般若や菩薩道や空観や中観を
つくっていったのだ。
だから、この三つを
大事にしたほうがいいと言いたいのではない。
欲望と諦念と不安を
別々にしないほうがいいのではないかと
言いたい。
この三つがどんなトレード関係にも
入らないようにしたほうがいいと
言いたいのだ。
モンテーニュ風にいえば、
こういうことを「質」に
入れないようにしなさい、と言いたい。
(中略)
「嗜癖する社会」や
「フェチの文化」は
決してなくなりはしないということだ。
二十一世紀がいくら進んでも
なくならない。
それでも努力したいことはある。
それは嗜癖を単純でわかりやすいもののほうに
なるべく振っていかないように
することである。
スマホもテレビ番組もラノベも
SNSもわかりやすいものに
向かいすぎている。これがよくない。
本来のアディクションはもっと複雑で
わかりにくくたっていいはずなのである。
そのほうが
気持ちは崩れにくいし
追い込まれない。
・・・
DJ KAZURU
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