
近田春夫、自伝
「調子悪くてあたりまえ」拝読。
良いタイトル。
こういう曲が
あるそうで、リリー・フランキーいわく
「スパイクリーの
『ドゥザライトシング』を
日本に置き換えればれば
『調子悪くてあたりまえ』になるんだよ」
だそうです。
昨年1970年代のドラマ
「ムー一族」の再放送を見ていたら
郷ひろみが突然ディスコ風のセットで
歌うシーンが毎回あるんですね。
そこで樹木希林とともに
盛り上げ役をするのが
若き近田春夫でした。今見ても
充分面白いです。
そういえば近田春夫って
音楽も色々なことやってたよね・・・と
思っていたところに自伝登場。
古稀を迎えて
これまでを振り返る気になったのでしょうか。
母親が音楽家への夢を捨てきれず
ピアノのお稽古が始まった幼少期。
慶応幼稚舎からつながる豊富な人脈や
anan創刊当時にアルバイトで
関わっていたときのこと。
バーケイズをハコバンで聴いて
最高にしびれた二十歳くらいのこと。
内田裕也に見込まれ、他の人の
サポートに入りにくくなってしまったこと。
クールスが作曲も演奏も満足にできないから
クレジットには載らないけど
すべてやった1975年のこと。
自分のバンドをいくつか立ち上げるも
コマーシャル音楽の方が
簡単に稼げたこと。
マネージャーに多額の使い込みを
されたこと。
大腸がんで精力的に
活動できなくなったこと。
年表をひもとくように
語られるのですが、はしばしに
あ、やっぱりこの人はオリジナルな
審美眼を持っているなということが
わかります。
いくら世間で受けてるものでも
これは違うなと思えばやらないっていうか
出来ない性分の人なんでしょう。
語録じゃないけど
いくつか抜粋しておきます。
《ひとつのジャンルに没入すると
みんな、「らしさ」ってものを求めるじゃん。
俺はエピゴーネンは嫌なのよ。
いつも考えるのは
先の先まで行っても絶対に
鎮火しないものは何かっていうこと》
《ラップには韻を踏む必要なんてない。
語尾に全部「さ」がついてるからいいじゃんて
逆説的に開き直ってみたのよ。
日本語は英語と違って
述語があとに来るから
脚韻を揃えることに大した意味はない。
そもそも日本の詩歌の伝統は頭韻だしさ。
だからみんな無理して倒置法の歌詞を
書くわけじゃん。
滑稽だよ。
あんな語法じゃ口喧嘩出来ないよ》
《DJってのは盆踊りにおける
音頭取りなのよ。
だから音楽家とは違う。
でもその人がいないと
おんなじ音が鳴っていても
踊る気になんない。
その構造に関心が引き寄せられた》
《俺はファンにおもねった経験は
ないってことね。
とにかく、俺はファンの粛清を
頻繁に行うわけよ。
タレントの仕事から手を引いてみたり
ラッパーに転身したり、トランス畑に
移ってみたりと。それまでの蓄積を
いとも簡単に捨て去ってしまう。
だから一向に金は貯まらないし
偉くもならないんだけどさ。
自分を食わせてくれるファンに
媚びる必要がないから
50年間気ままにやってこれたんだと思う》
DJ KAZURU
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