「なみだふるはな」拝読。
石牟礼道子、藤原新也 著。
水俣の惨状を文学にして
世の中に突きつけた人と
福島のフォトグラファーが
2011/6/13 から2011/6/15 にかけて
おこなった対談の記録。
日本人は便利な生活を求め
その果てに
何よりも大事な土地と命を失った。
水俣という前例があったのに
目をそらし続けたから、再び
福島でまた同じ過ちをおかした。
そのことに悶えているふたりの
対話は当たり前のことばかりなのに
なぜか世の中から弾かれてしまう。
水俣あたりの書店で
石牟礼道子の書籍は店頭に置かれず
裏にそっとあったりするそうです。
地元で生まれ育った最高峰の作家なのに。
色々考えさせられる対談ですが
何よりも驚いたのは1983年当時の
敦賀市長、高木孝一が
原発推進の講演会で町民相手に
行った演説内容。
「まあそんなわけで短大は建つわ
高校はできるわ、五十億円で
運動公園はできるわねえ。
火葬場はボツボツ私も歳になってきたから
これも今、あのカネで計画いたしておる、と
いったようなことで、そりゃあもうまったく
タナボタ式の町づくりが
できるんじゃなかろうか、と
そういうことで私はみなさんに(原発を)
おすすめしたい。これは(私は)信念を
持っとる、信念!
えー、そのかわりに百年経って片輪が
生まれてくるやら、五十年後に
生まれた子供が全部、片輪になるやら
それはわかりませんよ。
わかりませんけど、今の段階では
おやりになったほうがよいのではなかろうか
・・・・・。こういうふうに
思っております。
どうもありがとうございました。
(会場に大拍手)」
誰が聞いても正気の沙汰ではない
内容なのですが
これが田舎の民衆の実情というか
やはり、都会の進んだ技術が
わが村に来るということを
誇りに思う感情は
水俣の多くの人たちにあった感情だと
いうことも石牟礼道子は言っています。
チッソが来たときに電信柱が立って
ランプの掃除を真っ黒になって
する必要もなく
パッと、各家庭で電気が灯ることになった。
それを聞いた人たちが、
「じゃあうちの山にも
電信柱を通してほしい」
「うちの田んぼにも通してください」
となると
「そっちのほうには行かれん」
とチッソに言われる人も出てきて
「それなら電信柱の影なりと
うちの畑にも映るごつして
くだはりまっせ」
と
電信柱の影なりと・・・とまで願う
いじらしさを石牟礼道子は
印象的な出来事として語っています。
こうした感情はバカにできない
いじらしさです。
近代化が嬉しかった田舎の人の心を
愚かだと切り捨てることは
できません。
藤原氏は、村上春樹がスペインで
賞をとってスピーチしたとき
原発問題に触れ
「人間が効率を求めた結果」
と、ステロタイプな帰納法で
片付けたことを
「高見からの物言い」と
嫌悪し、切り捨てていますが
私が
石牟礼道子にひかれるのも同じ感情で
けして彼女は高いところにいない、
常に苦しんでいる人と
同じ地べたに居る。
そういう人の言葉に
真実があると感じるからです。
DJ KAZURU
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