「姫君を喰う話」にも収録されている
1961年の芥川賞受賞作が
宇能鴻一郎著「鯨神」。
映画にもなっているようです。
巨大な鯨に挑んでいく漁師の
物語ですが、「老人と海」のような
「海上で出くわした俺とお前の勝負」的な
男のファンタジー風味など
まったくありません。
化け物のように巨大な鯨は
主人公シャキの兄も父も祖父も
村の人々何十人もの命を
海に沈めた「叶わない敵」なのです。
明治初頭の平戸で行われる鯨漁。
漁を中心に生活は回っており
一家の長が殺された復讐を果たすのだと
年若い息子に言い聞かせるような
風習が芯にあるような暮らしですが、
一方
キリスト教が入ってきている土地でもあり
土着の信仰と入り交じった
不思議なところが異世界を感じさせます。
命よりも、兄、父、祖父を
鯨にとられてしまった敵討ちが
大事で、それで名声を得ようとか
金を稼ごうという気持ちは
シャキにはない。
余所者の荒くれに孕まされた少女が
産んだ子供の父親に名乗りをあげる
シャキの透明な心。
この辺りの展開も素敵です。
いくつも船を沈められ
いくつもの仲間の命を奪われ
自らも致命傷を負った果てに、遂に
ついた鯨との決着。
死を悟ったシャキは村に戻りつき
鯨の死骸と対峙して数日間を
横たわったまま過ごし、最後には
自分がこの巨大な鯨神そのものに
なってしまうのですが、その描写が
光に包まれていくような
美しさ。
シャキは死の渕では
自分のからだの痛みを感じ、闘いを振り返り
死んで痛みから解放されたのちは
鯨神となって、人間との闘いを
反芻します。
宇能鴻一郎はこんな美しい作品を
書いた人なのですね、どうして
官能小説家だと思い込んでいたのでしょう。
彼の書いた官能小説を読んだこともないのに!
DJ KAZURU
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