市川雷蔵と勝新太郎。
いわゆる
「カツライスどっちが好き?」
なら勝派の私。
雷蔵は作品に恵まれた
大スターというイメージでしたので
幼い頃から養子として何度も
名を変えたこと、歌舞伎役者として
パッとしなかった若い時代のことなどは
知らなかったことでした。
花形スターも実は
苦労を重ねていたのですね。
それでも37歳で死んでしまった雷蔵は
映画のよい時代で
充分に、輝ききったのだと思います。
当時の映画業界は
「五社協定」といって
役者は単一の映画会社に縛られる
システムだったので、同じ監督の
同じようなシリーズものばかり
出ることになってしまい
本当に気の毒な立場なのですが、
田宮二郎も山本富士子もそのせいで
不遇時代が続いたこと
書かれていました。
どんな才能も時代にフィットしないと
うまく輝けない、ということは
あるのだよなあ。
勝新太郎は、実験的映画が
流行った時代であれば、認められたであろう
作品も、時代と合わなかったので
陽の目を見なかったわけで。
その結果、豪快な発言と
「座頭市」しか代表作がないなんて
彼の才能に釣り合わないことです。
なんで黒澤明と喧嘩しちゃったのかなあ
古畑任三郎のゲスト出演断ったのかなあ
もっと色々な
ドラマでも活躍すれば後世の若い人にも
知ってもらえたに違いないのに。
音楽的才能にも恵まれたので
長唄三味線の腕は一流なのに
日本人が長唄聴かなくなっちゃったから
そこも評価されない。
素人目にも残念というか
才能の割に評価が低い
勝新太郎の人生です。
DJ KAZURU
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