11-12歳くらいの時に
大澤誉志幸が好きで1枚目から3枚目の
アルバムをすごく聴いてました。
彼のファーストアルバム一曲目
冒頭の歌詞が
《tooth brush が cup で叫ぶ
愛してるから静かにしてくれ
boiled egg は頬杖ついて
何もいわずにほっといてくれ》
で
《赤い模様の女たち
ホクロの位置を確かめに来る頃》
と続きます。
すべての歌詞は
「銀色夏生」という人が書いていて
男か女かも分かりませんでしたが
普通に日本で暮らしてたら
こんな言い回しでてくるかな?という
言葉の数々に圧倒された小学生でした。
「大村雅朗の軌跡1951-1997」を読んで
この三枚のアルバムは
編曲が大村氏だったことを知り、あれ
私は大澤誉志幸が好きだったというより
大村雅朗と銀色夏生が
好きだったのかな?と気づきました。
松田聖子との仕事でも
sweet meories はじめセイシェルの夕陽など
素晴らしいアレンジばかりです。
そもそも吹奏楽からオーケストレーション
を学んだ人のようで、数々の仕事を
一緒にしてきた仲間たちの証言を
興味深く読みました。
まだj-popという言葉も
なかった時代ですが
ポピュラーソングにとっていい時代
だったのだと思います。
それにしても
大沢誉志幸の良さを最大限引き出したと
思われるのに、本人は
「彼をリスペクトしてなかった」という
談話には驚きました。
自分はバンドやってて、いわば
ストリートの出身だけど、大村氏は
お坊っちゃまぽくて自分の音楽を
理解してくれるのかな、という
疑問をずっと持っていたようですが
いま聴いても「まずいリズムでベルが鳴る」と
「scoop」は大村マジックによる
よいアルバムだと感じます。
「大村雅朗の軌跡1951-1997」には
様々な楽曲が紹介されていますが
サブスクリプションでちょっと探せば
ほぼ網羅してくれているプレイリストが
見つかりますので、一緒に聴きながら
本を読めます。
大村雅朗本人もこんな時代が
到来するとは思わなかったでしょうね。
あなたの作品をまとめて聴きかえすことのできる
便利な世の中になっていますよ。
ですが、新しい音楽は
総じて貧弱になっております
そんな2021年を我々は生きています。
DJ KAZURU
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