「さずきもんたちの唄
最後の弟子が語る瞽女・小林ハル」
萱森直子 著、拝読。
小林ハルという
一人の超高齢の瞽女に教えを乞うた
女性の体験記。
でありながら
コミュニケーションとはなにか、を
深く考えさせられる本でもあるのです。
盲目の女性たちの口承、口伝による
芸能を、眼の見える者が
レコーダーもパソコンも
使うことができる時代にどう習うのか。
萱森氏は、徹底して
瞽女、小林ハルと向き合った結果
耳で得た情報だけで習得しようという
境地にいたり、発音、語彙、節回し
すべて
「耳で聞いた通り」練習していきます。
小林ハル含め過去何百何千の
瞽女が、当然ながら
歌詞を書き取ることもなく
他に良い師匠がいるか検索することもなく
言われたことをひたすらそのまま
芸として磨きあげたものが瞽女唄。
ならば
目あきの自分もそうやって
耳から入るものだけで付き合っていこうと
いうわけです。
そうしたコミュニケーションをとれたから
萱森氏は誰よりも瞽女の世界に近づけたことは
読み進めると明らかです。
師匠と共に呼ばれた演奏会でも
けして客に歌詞や、唄の内容を
印刷して渡さない。そのほうが
ぐっと近い気持ちで客席が唄に寄り添えると
いうことです。
寄り添う力を身に付けたことで
彼女たちの師弟関係は強固になりますが
本当にすごいことです。
思考回路を切り替えるって、できそうで
出来ないものです。
わたくしはジャンルは違えど
三味線をやっています。
だから、萱森氏が稽古のたびに
違う節回しで手本を示され困惑した
エピソードがとてもよく分かるのですが
大きく違うのはコミュニケーションの
部分です。
何年弾いていても譜面で
理解することを止められず
文字で考えることも捨てられない。
わたくしが弾いている長唄は
芸術大学で体系的に
教えられもしているものなので
一概には比べられませんが、自分の
いかにも「今時の人」の心構えのままで
練習に励む姿が悲しく思えました。
わたくしも、三味線の奏でる音色の
向こう側に見える何かを
自分の手で掴みたくて稽古をするのですが
耳を澄ますという、最も重要なことが
果たして
抜け落ちていなかったでしょうか。
我が身を振りかえり考えてしまいました。
ところで、瞽女(ごぜ)といっても
なんのことやらわからない人も多いでしょう。
旅をしながら三味線と唄で
身を立てている芸人のことで
ラジオやTVが家庭に来るまでは
彼女らの来訪は
庶民の楽しみでした。
ラジオもないなんて大昔?
という印象かもしれませんが
宇多田ヒカルの祖母(藤圭子の母)が
瞽女です。
芸術ではなく、あくまで芸能です。
だから聴衆が喜ぶ選曲に
拘るということです
DJ KAZURU
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