森まゆみ 著
「聖子 新宿の文壇BAR風紋の女主人」
拝読。
文壇バーという所に
行ったことはないのですが
昭和三年生まれの聖子さんが生きた時代は
そういう場所に活気があったのでしょう。
この本、前半は
父である林倭衛の画家としての
パリ留学の話や、その周辺の
アナーキストとの交流の話が主でした。
伊藤野枝の最初の夫の辻潤、
次の夫の大杉栄をはじめその時代を
騒がせた人々が大勢出てきて
なかなか刺激的です。
昨年、伊藤野枝を主人公にした小説を
読んでいたので分かりやすかった。
伊藤野枝という生き方
母がカフェ勤めをしていたときに
知り合った太宰治とは、ずーっと
親しくしていたようで、聖子を
モデルに書かれたのが「メリイクリスマス」。
女優をやったりする前に、彼のツテで
新潮社に就職したこともあったとか。
玉川上水で心中したときも
真っ先に駆けつけ
入水した場所を突き止めたそうです。
心中の経緯についても
親しかった聖子には、透けて見えるものが
あったようで、本当は
死ぬつもりなどないのに女に流されて
うっかり本当に死んでしまった、という
感じのようです。
聖子の初恋の相手は
太宰治に憧れていた出英利。若くして
事故死してしまったあとに
長く付き合ったのが勅使河原宏、と
恋愛の相手も大物。
聖子の店の名前「風紋」からの
インスピレーションが映画「砂の女」に
映し出されたのでは?という
森まゆみ氏の見方もかなりいい線
いっている気がします。
才能に恵まれた文化人たちに
支えられもしただろうけど、影響も
与えたであろう美貌の聖子。
興味深い人です。
最後の方に常連の一人として
中上健次の名も挙げられていますが
「風紋」の歴史においては、だいぶ
若手?のような扱いでした。
・・・
富栄さんと太宰が出会ったのは
亡くなる前の年の三月末、心中まで
一年二ヶ月とちょっと。
「スタコラさっちゃんとみんなが呼んでた
山崎さんは、太宰さんを
とにかく独占したがった。自分以外の
女性とは会わせたくない。自分が知り合う前から
太宰さんを知っている人は
排除したいという勢いでした。だから
母も私もだんだん太宰さんと疎遠になっていった」
そこから、聖子さんはゆっくりと、でも
ちょっと激しい言い方になった。
「山崎さんが住んでたあの部屋ね。
写真を飾って遺書みたいなものをおいて、
お線香立てて。
あんな芝居がかったこと、あんなチャチなことを
太宰さんなら絶対嫌がると思う。
本気で死ぬならあんな恥ずかしいことはしない。
衝動的な自殺というものもあるんじゃない?」
DJ KAZURU
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