「文楽徘徊」
鈴木創士 著、拝読。
文楽にまつわるエッセイ集ですが
近松門左衛門に対する熱量が特に
高い内容でした。
フランス文学がご専門らしく
ジャンジュネの言葉
「死が無であることを
われわれに垣間見せてくれるすべての
出来事のうちで、マリオネットは
おそらく最も明白な合図である」
が引用されたりもします。
近松門左衛門の辞世にまつわる
話が秀逸なのですが、近松は
死期を悟ったとき、
武家に生まれながら武士の身分を捨て
庶民となっても、商売人でもないし
賢いようにしてても賢者ではなく
物知りのようにしてても物を知らず
でき損ないの自分。さまざなことを
書き散らしてきたが、
本当に大事なことは・・・
「一字半言もなき倒惑、こころに
心の恥をおほひて・・・」
と辞世のなかで言うのです。
続けて
「それぞ辞世
去ほどにさてもそののちに
残る桜が花しにほはば」
自分の書いた浄瑠璃が残っていれば
それこそが辞世。
と言いながら
「のこれとは
おもふもおろか うづみ火の
けぬまあだなる くち木がきして」
つまり
書いた浄瑠璃が後世に残ってほしい
なんていうことが愚か者の考えである
とも言っちゃうわけです。
鈴木氏はこういう近松門左衛門の
複雑な人生観、生きざまに
興奮しているのですが
私もいやーこれはすごいなあと
思いました。
近松門左衛門ほどの人なら
俺が死んだあとに俺を越える作品が
書けるものなら書いてみろ、という
気持ちで晩年を過ごしていたとしても
全く不思議はないと思うのですが
凡人の上の上を行く人なんですね。
DJ KAZURU
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