「サンダカン八番娼館」
山崎朋子 著 拝読。
「からゆきさん」は
外国で春をひさいでた人のことだと
ぼんやり知ってはいたのに
「唐人行」または「唐ん国行き」という
言葉から発生してる名称だという
ことも知りませんでした。
著者は同じ女性として
他人事ではないという思いから
海外へ売られ、底辺を生きてきた
日本女性たちの研究を始めるのですが
先人の書物に惑わされず
それまでのボルネオ島での日本人
売春婦の資料を徹底的に分析し
否定したところが、まず見事。
女の歴史が男によって都合よく
塗り替えられていた
そこをひっくり返したわけです。
著者がルポを書くにあたって参考としたのが
森崎和江氏。
まっくら
聞いたことを一人称で書く
迫力のスタイルだけではなく、取材における
姿勢、すなわち徹底的に取材対象と
同じ低さに自分をおき、けして
上から見ない態度が引き継がれており
あっぱれでした。
けして
現地に車で乗り込んだりしない
取材対象と同じようにバスを乗り継ぎ
歩く。同じものを食べて、同じ景色を
見ることから始まっています。
著者が知り合った老からゆきさんは
天草の赤貧家庭に育ち
10才になるやならずでボルネオ島に
売られています。この
隠しておきたいデリケートな過去を
語らせるに至る道のりが、まず
ドラマティックでした。
老からゆきさんの住まいは天草の
田舎も田舎、湿気でぐにゃにゃの
百足の巣窟になっている畳の上で暮らし
風呂も廁もない。
食べるものは想像を越える粗末なもの。
まるで嫁のような気持ちで寝食を
共にしたなかで話がきけたといっても
ここで1860年代に30歳代だった
東京の女が過ごせたとは、驚愕でした。
このやりとりの数日間で
二人はぐっと親密になるのです。
ボルネオ島に売られ、到着したときには
なぜか借金が何倍にも膨れ上がっており
13才で客をとらされたとき、その
借金がますます増えていく娼館の
仕組みを知る。一日に30人の客を
相手することもあった彼女たちは
料理も裁縫も文字の読み書きも
覚える暇はなかったので
老いて日本に戻ってきても
「妻」としての仕事ができないので
結婚も上手くいかない。
ある程度金をためることが出来た者も
親戚に掠め取られてしまう。
いわば家族の犠牲として売られた女たちなのに
故郷に戻れば、臭いものに蓋をしたいような
疎まれよう。
トイレがないのだから
電話があるわけない。からゆきさんに
手紙を送りたくても読めないし書けない。
ここに飛び込んだ著者の覚悟が
行間からにじんできます。
著者の山崎朋子氏は、新劇の女優時代に
ストーカーに襲われ顔に幾つもの
傷があるとか。
彼女もまた不条理に男性に
傷つけられた経験があると
あとがきで知りました。
彼女の顔を見て、老女となった
からゆきさんは、この女にも
何か事情があると察し
口を開いたのかもしれません。
天草は農業も漁業も上手く行く
土地ではなく、貧困に陥りやすかった
ということですが、それにしても
あんまりな女の歴史です。
日本の政策のなかで外貨を稼いでくる
一面もあったわけですから
政府にも責任はあります。
彼女たちは世の中を回していくために
都合のよい存在だったのです。
救いは
この本が大宅壮一ノンフィクション賞を
受賞し、版を重ねて
私のような何も知らないおバカさんも読める
現在でも「売れる本」であることです。
ほんの少し前まで女は
搾取されっぱなし、踏みつけに
されっぱなしだったこと
忘れてはいけません。
DJ KAZURU
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