松岡正剛×田中泯
「意身伝心」拝読。
踊りと言葉をキレッキレに
操る二人の対談は刺激的でした。
田中泯の存在自体が「居合い」みたいですが
松岡正剛は言葉の居合い道って感じだから
二人が気が合うの当然ですね。
ちょっと引用しますが
全編こんなの感じで、あ私も
「分かってる人」の景色が見たい、と
思います。
田中泯
日本語の「所作」とか「振る舞い」という
コトバは、まさに踊りのコトバですよね。
そういうこともう一度考え直して
いきたいですね。そこまで
踊りを本当に愛してくれる人が
なかなか見つからないではいるんですけども
絶対にやるべき事だと思います。
松岡正剛
見巧者になったほうがいいかどうかは
別にして、何であれずっと見ていくと
いろいろなものが見えてくるんです。
将棋だってサッカーだって歌舞伎だってね。
これがわかるようになればやっぱり
見る側としても面白い。古典芸能の世界は
そればかりです。でも、たくさん
見逃しているし、その理解のヒントが
伝わってはいない。
(中略)
歌舞伎の見得のような「型」ではなく
「型」そのものを生み出してきた方法を
感じるということです。
また、型の奥にある超型のようなもの
ハイパーモールドのようなもののことです。
それは古来の神話やアニミズムから来ている
ものです。
古典芸能はそれを徹底的に伏せて
所作としての「型」だけを繰り返していく。
だけれども
ハイパーモールドのほうが見えてくると
「見る、見られる」関係が急速に
「本来」と「将来」を往復するようになって
本当にセクシーになれるんだな。
世阿弥はそれを「離見の見」と言ってますね。
DJ KAZURU
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