赤江瀑アラベスク3
妖花燦爛、拝読。
このシリーズ最終巻は驚くような
精度の高い短編集でした。
まず冒頭には桜二題。
三浪の末見事志望校に合格した青年が
ごほうび旅行で出会ってしまった
咲いているはずのない満開の桜。
そこで彼が
『願わくば 桜の下にて 春死なん』
を体現しようとする「平家の桜」。
これは先日NHKFMで
津田寛治さんの朗読でも披露されましたが
すごく良かったのです。
赤江作品としては難解な
言葉が少ないので、朗読には
もってこいだったかと思いました。
続いては、普段は肉体労働者として
ごく普通に働いているのに
桜を季節になると
我を忘れ男に抱かれにいってしまう
男と、彼を
死んでなお見守る男の物語「櫻瀧」。
どちらも日本人が抱く
桜のイメージの負の面、悲しい面を
美しく描いた作品で短いものですが
圧倒されました。
日本の文化の真髄、日本人がDNAに
刻み込んでるような感覚を小説で
書くことができるのも赤江瀑くらいの
ものでしょう。
他にもぞくぞくするような
幽玄と現実がまじりあう
短編ばかりで、濃密なこと濃密なこと。
能面を打つことに人生をかけた
青年の狂気のような真っ直ぐさを書いた
「阿修羅伝」は能をやっている人なら
どう読むでしょう?
「霧ホテル」では人間国宝
地唄舞の名手のキャラクターをかりて
こんなことを赤江瀑は言っています。
【よう言う人がいますわな。
生涯未完、未成。未熟。自分の仕事に
出来たと思たことはありませんて。
なんかそういう意味合いのこと、
言う人がおっしゃろ。
わて、あれ聞くと
虫酸が走りますんのんや。
なに甘っちょろいこと言うてんのや。
一舞い、一舞い、これが
生きるか死ぬかの真剣勝負。
もうこの上はない、これが頂上。
自分でそない思えんような舞なら舞うな。
見せるな。
満足しきったものだけをもって、出てこい。
人にものを見せるということは、
そういうことや。
精根尽くし、空になって、もうその先は
あらへんのや。
一舞い、一舞い、明日はない。
舞いきって、生きるということは
そういうことやと、
肝に命じてきてますのや】
伝統芸能の方に、この小説の
感想をぜひ聞いてみたいものです。
DJ KAZURU
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