井上荒野 著
「生皮」拝読。
セクハラとか、性的同意とか
意味は分かっているのだけれど
実際に男女の揉め事がニュースになってるとき
どうしてそうなっちゃったの?
てことは今一つわからない。
分からないのは当事者でないからなのか
想像力が足りないのか。
刃物を突きつけて
関係を迫ったわけでもないのに
レイプだった、とはどういうことか?
そのあたりをぐっと掘り下げてくれる
小説でした。
カルチャースクールの小説講座
講師と受講者の間に起こった事が
中心の話ですが、敬愛する師匠の前で
女性が自分をなくしていく経緯が
すごくよく書かれていて、なるほど
こうやって加害側と被害者の認識は
ずれていき、事件は起きるのかと、
その辺りのリアリティー凄かったです。
加害者のカルチャー講師が娘から
「小説の神様だとでも自分のことを
思ってるのか」
と、言われるシーンがありますが
男性のほうが神様のように自分の権力を信じ
横暴になれる資質があるのかもですね。
女性はなんといっても歴史上長年
「従う立場」でしたから。
もちろん、女性だって加害側に
なり得ます。
複数の登場人物の目線が
それぞれ出てきますが、俳句の会で
師匠に若い女性を差し出す女性まで
出てきてぎょっとしましたが、この女性は
50才で食事などには興味がなく
ただ、句会の師匠に愛されるために
高級下着を買いまくっているのです。
自分のことを都合のいい
欲望の対象としか観ていない男のために
必死でオーバドゥを買う50才の女。
実際にいなさそうでいるのでは?
こうして要約するとアホみたいですが
自分で作った幻想に自分を閉じ込めて
なんとか息ができる、ということも
あるのかもしれません。
例えば若い男に出ていかれたくなくて
自分の娘を男に差し出す母親なんてのも
いましたよね(内田春菊の自伝的小説も
そんな話だった)。
他にも、被害者に寄り添う
パートナーの男性、加害男性をあくまで
信じたい女性、他者が声をあげたことで
自分も声あげる女性、加害男性の妻が
それぞれの見方を示します。
今の時代をうつしだしてる小説でした。
DJ KAZURU
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