「死んでたまるか」
団鬼六自伝エッセイ拝読。
「花と蛇」とか夢中になって
読んでた時期もあったので
作家として好きでしたが
それにしても何という経験を
重ねている人だろう。
ティーンのときから
晩年まで、それぞれに思い出深い
出来事を19のエピソードに分けて
書いているのだけど、その
どれもが
「人間が一生のうちに
こんな体験するかしら?」
と思う稀有な体験です。
受験で上京した際に
泊まった売春宿で触れ合った
商売女との一夜。
将棋の負けが払えず
自分の女を差し出してきた
男と過ごした大晦日。
約束を思い出したことで
免れた、死に至ったであろう交通事故。
にっちもさっちも行かないときに
新橋のクズ屋が渡してくれた大金。
身の回りの世話をさせていた
たこ八郎のこと。
美人ママを殺害し
その頭部をカバンに入れたままの
友人と銀座で飲んでいたのだと
刑事の訪問で知った夜。
実父が長年愛人と交わしていた
年賀状に込められた想い。
などなど。
波瀾万丈といっても良いのですが
団鬼六のフィルターを通した
人生がたまらなく劇的。
この人が書く小説が面白いわけですよ。
さて
冒頭の1話目は終戦直前の
関西学院中学生だった頃の話。
学校の特色だった英語も
国策により学べなかった団鬼六は
捕虜として捉えられていた
米軍の若者と会話をすることで
英語を勉強しています。
捕虜ですので
痩せた彼らにパンなどわけると
人懐こく話しかけてきて
発音を教えてくれて
意外にも友好的交流ができていたとか。
あるとき、休み時間に
級友と将棋を指していると
捕虜たちが興味津々。
ジャパニーズチェス、のようなものだと
ルールをおしえてやると
すぐに覚えて、難しい手なども
理解するようになったそう。
互いに勤労動員
強制労働と働きつつも
そんな日々が続いて、団鬼六らは
捕虜たちとは別の場所へ勤労となった。
終戦まであと2ヶ月
というときに
捕虜たちが収容されていた
工場が爆撃にあって全員死亡。
廃墟にはジャパニーズチェスの残骸
みんなで使っていた
将棋盤が残されていたそうです。
もう
この悲しい話が美しすぎて
13歳のときの光景を、こうして
詩情をもって書ける団鬼六が
ますます好きになりました。
私は自分の人生の
心ふるわせる出来事に
無反応になっていないだろうか。
確認したくなるような
団鬼六の感受性。
DJ KAZURU
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