寺山修司も没後40年なんですね
リアルタイムではないけれど
多感なティーンネイジャー時期に
触れたので、けっこう衝撃でした。
高田馬場に安い映画館があって
座布団にすわって見るようなところだったと
記憶してますが、そこで
「田園に死す」と「さらば箱舟」
二本立てで観たりね。
さて、中森明夫が
寺山が2023年健在で、秋元康と
ケンカして、俺がTRY48っつー
アイドルグループつくってやるぜ、となったら
どうだろうという発想のもとに
書かれた小説「TRY48」。
寺山の軌跡を振り返りつつ
これまでサブカルの輝かしい
地位にいて、創作するものならば
誰もが憧れる
寺山修司の、実は
犯罪じみた性癖
パクリまくりの短歌作り
虚構でかためる性格
などにスポットを当てていて、大変
面白いです。
寺山の仕事の再検証でもあり
この人が長生きしたら、時代を
どのように渡り歩いたのだろうと
さらなる想像も膨らみます。
たとえば、麻原彰晃を
たとえば、村上春樹を、俵万智を
どのように断じただろうか。
作中でも書かれていますけど
なぜあれほど
寺山は人を惹きつけたのかというと
間口が多かったからなんですよね。
演劇
エッセイ
競馬
短歌
映画
これだけやってれば
どこかしら接点が出てきますから
寺山の沼にハマりやすいのです。
ちなみに私は
中学生のときに横尾忠則が
描いた天井桟敷のポスターに
雷うたれて、寺山修司を知ったのが
最初かと思います。
横尾忠則が天才だということは
すぐにわかって、ポストカードを
いくつか購入し、それは今でも
コレクションしてますが
その横尾忠則が手掛けたポスターの
芝居を観たい(もう無理だった)、
とにかく寺山修司その人を
知っておかねばいかん、と
思いました。
次に
マッチ擦る つかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの 祖国はありや
という歌を知って
これはヤバい、と思ったものです。
だって自分の帰属してる国って
ものすごく大きなものであって
割りとアイデンティティーの
大事な部分なはずなのに、そこを
疑うわけですよね。
あたりまえに肯定されてる
そのことに対し、バシッと
それって俺の命より価値あるの?
と、歌った寺山に心酔しました。
ま、これもパクリだったんですけどね。
富沢赤黄男という人が
一本のマッチをすれば湖は霧
と詠んでるそうです(がっくり)。
でも私は
「身捨つるほどの 祖国はありや」
の部分が大好きです。
戦地のニュースなどに触れるたび
頭をよぎる一首です。
・・・
「寺山修司も、そうだよね。
直感がない。
本当の意味での思いつきがない。
だから、理屈で作るしかない。
理屈づくめ。
知識をずらずらと並べる。
引用、コラージュ、パクリ…。
いわば、マイナスの父性……そう、
寺山修司は父性ならぬ負性の人だ。
プラスの確信がない。
ゆえに確信なき無性生殖の表現が、
いくらでも自在に産みだせる。
人が、一人の子を産む説きの決断、
その重大さ、切迫性、取り返しのつかなさ
その不可避の確信の強度を、完全に
欠いている。
寺山も…‥わたしも……」
・・・
DJ KAZURU
Add A Comment