「小山三ひとり語り」
拝読。
1920年に生まれ
2015年に亡くなってますから
長生きですね。
中村小山三といえば、
歌舞伎の中村屋の長老として
大事にされた最高齢のお弟子さんですが
愛嬌のある老女方として
観客にも大人気で
晩年は歌舞伎座で
ストラップまで売られてました。
大正生まれで
中村勘三郎を17代、18代と
見送った人(十八代勘三郎は
早世だったよなあ、まさか小山三より
早く逝くとは)なので
生き字引、とも言われていました。
晩年のインタビューなのに
記憶が鮮明みたいで、戦中の
歌舞伎興行のこととかよくわかりました。
聞き書きしている
矢口由紀子って方も上手で
巧みに話を聞き出しています。
ほとんど仮病で甲種合格を
逃れた小山三は、中国まで
慰問の旅に出るのですが、なにせ
女と切り離されている兵隊さんたちの前に
女方の扮装ででると、それだけで
みんな大興奮。
握手してくれとか写真撮らせてくれとか
もみくちゃにされたなんてエピソードは
実際にそうだったんだろうな、と。
松竹と東宝の行き来
女優とも共演していた小屋のこと
とにかく小山三が子役で活躍していた
昭和の初期っていうのは
芝居小屋も多かったので、今では
考えられないような雑な契約もあったようです。
笑っちゃう話も多くて
名だたる役者の前で、宴会芸として
ストリップをやったことも
赤裸々に語ってくれてます。
彼のようなお弟子さんというのは
端役で色んな舞台に出るわけですけれど
自分の勤めの真骨頂は後見だという
話にはハッとさせられました。
後見は主役級の人たちが
間違いなくバシッと演じられるように
小道具を渡したり、衣装を引き抜いたり
するのが勤めですが、結局息が合わないと
役者もやりにくいから、芝居が
決まらないのですよね。
小山三はその極意を自分で考え抜いて
下のお弟子さんたちに伝えたようです。
本当にいい芝居っていうのは
こういう黒衣を着て舞台の影にいるような
人たちがいてこそなんですよね。
中村屋の可愛いご隠居なんて
思っていて失礼しました。
大変な工夫と努力の人なんですね。
そしていま思えば
LGBTなんとかかんとか、という
概念のなかった時代に悔しい
惨めな思いもしながら生きてきたわけです。
子供の頃自分をいじめた男の子のことを
何十年経っても覚えている小山三。
愛されるお弟子さんとして
ちょいちょいTVに出たりもして
晩年を人気者として
過ごせたことは良かったんだろうな。
DJ KAZURU
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