甲斐荘楠音の全貌
@ステーションギャラリーへ。
感性の化物ですね。
このような人がいたことを
全く知らなかったので
圧倒されました。
1894年生まれだから
明治27年生まれ。
大正期に入ってきた
海外の風俗の影響も思いっきり
受けつつ、伝統芸能への興味も
深かったという感じでしょうか。
膨大な彼のスクラップには
歌舞伎や舞踊のブロマイドから
広告写真、芸者のスナップ
外国の女優の雑誌記事の切抜き。
和洋問わず、ありとあらゆる
「気になるポーズとスタイリング」を
集めただけなんだけど、それを見れば
彼のアンテナの鋭さ
美への執着が分かります。
このスクラップ、会場では
見開きで固定されてるから
一部分しか見れないのだけど
ずーっと眺めさせてって感じでした。
六曲一双の
笄を差した三味線持って立ってる女
など大きい屏風絵もインパクトあっていいけど
大作よりもスケッチの数々に
興味津々。
今回は階下のスペースの
歌舞伎、文楽を扱った作品が
すごーくすごーく
面白かった。
彼は新派も好きだったとか。
あんまりジロジロ観てたら
監視係さんが鉛筆くれたので
メモも取れました。
桂川連理柵、帯屋の一場面は
四代目芝雀がモデルのようですが
お半のモデルは楠音本人だそうです。
巻紙に絵と台本が書かれてたのは
やはり帯屋だと思うのだけど
配置がお洒落だった。
昭和27年の民生歌舞伎公演
というのがあってそのパンフも
手掛けてるのですが
「戦争未亡人慰問演劇」とあって
当時を忍ばせますね。
文楽の絵は数点ありました。
私は常々
名手が遣えば眉間のシワが見える
と言ってるのですが
「文楽之図」にはまさに眉間のシワが
表現されてました。
なんか嬉しい。
猿はいなかったけど
「堀川の稽古娘」や
人形遣いが描かれている
「櫓のお七」とイメージ的な
「櫓のお七」もありました。
玄冶店の団扇素敵だったなあ。
千姫、淀君、
歌舞伎役者のスケッチもあるのだけど
誰がモデルかは不明なのが残念。
「八重垣姫覚書」は
唄の節と踊りの手がざっくり
書いてありました。
とにかく自分が扮装し、撮影し
それを元に作品を仕上げる
スタイルなんですね。
自分が役者のような格好になって
フィルムに収まってるものが
たくさん残ってて、なんとなく
令和の人のインスタような
構図の研究の手法って気もしました。
映画の仕事を見ても
櫛の形ひとつ鬘の結い方に至るまで
小道具へのこだわりが凄い。
メモの状態ですでに
イメージが固まっているから
役者にもこの衣装はこう着て欲しい、と
いうことを言ってたんじゃ無いかしら。
モノクロ映画なのに
カラー絵コンテ描いちゃうんですからね。
好色五人女では美術考証
だったそうです。
雨月物語の衣装担当だったのも
知りませんでした。
旗本退屈男を中心に
実際の衣装が展示されてますが
片身替わり的発想のものや
立体感のある柄や刺繍がユニーク。
かなり攻めてる柄でした。
最晩年の
「虹の架け橋」は女の美を
濃縮したような大作でした。
何年にもわたって同じタイトルで
スケッチされている
「畜生塚」は興味深かったですね。
小さい下絵も魅力に満ちています。
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