前コラムでミュージシャンSingoの記事を
取り上げましたが、
何が良かったのか少し触れてみたいと思います。
彼はその中で、『レゲトンの源流の一つでもある
(プエルトリコの)プレーナは、
キューバ由来のラテンとは異なり、
1泊3泊の強拍にバスドラム的な低音が来るため
いわゆる4つ打ち系のEDMと非常に相性が良い』
『サルサの演奏者たちは、
クラーベの音がない方が心地よく感じるから
クラーベの音を加える必要性を感じない』
『キューバ人と非キューバ系ラティーノたちでは
根本的にクラーベの捉え方、理解が異なる』
と語っていました。
現地でミュージシャンとしての経験がないと
わからないことです。
当事者たちは当たり前としてとらえていることを、
第3者となる日本人として気が付いたのです。
そんなことは、以前からわかっていたし当たり前
という人もいるかと思いますが、私には驚きでした。
「クラーベの音がない方が心地よい」のであれば、
サルサは徐々に衰退していくのは必然だったのです。
その逆にキューバ在住のキューバ人は、
子供のころから体に染みついたクラーベを
パーカッションはもちろん、歌や演奏の中に感じ続け、
ティンバはもとより、ロックやジャズ、ポップスまで
影響させていたのです。
キューバのビート、クラーベは、
譜面に表すことの出来ない伝統芸能のようなもので、
もはや2-3や3-2、
ソンクラーベ、ルンバクラーベという
形式的なものを越えた特殊なものなのでしょう。
そんなことを考えさせてくれる内容でした。
(福田カズノブ 2024.2.21)
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