リゾート地モナコでキューバの伝統的な音楽を
演奏していたCharanga Habaneraは
NG La Bandaの音楽に刺激を受けキューバに戻り変身。
それまでのスーツ姿をラフなスタイルにして、
歌詞はスラング満載に、音楽はソンに
ソウルやファンクを融合させることに成功。
さらにステージでは演奏者が楽器を交代して、
ダンスを披露するなどエンターテイメントを
積極的に取り入れ、そのライブがハバナっ子に受けて、
話題持ち切りとなりました。
当時、まだ数少なかった日本のキューバ音楽ファン
の間では、SNSもない中で、
ハバナにとんでもないバンドが現れて、
若者の間で受けているらしいという噂が走り、
実際にキューバでライブを見たものから
情報を得ようと必死になっていました。
その後、Charanga Habaneraの数々の曲は
キューバのみならず中南米でもヒットし、
ソンに代わる最先端の音楽として
ラテン音楽界に認められていく
その流れを牽引していきます。
キューバの若者は海外に出ていきたいという
フラストレーションと自分たちの音楽やダンスは
最高であるというプライドが入り交じり、
それらがものすごいエネルギーとなって
新しい音楽に昇華されていたのです。
紹介する曲は「Nube Pasajera」。
後にティンバと名付けられる直前の時期が、
このジャンルの頂点であったのですが、
それらの状況をよく現わしている強烈な演奏が
観ることができます。
ボーカルのミチェル・マサは
当時カリスマ的な人気がありましたが、
バンドのカラーはリーダーの
ダビ・カルサードのアイデア。
キューバのバンドでは初めてエンターテイメントを
取り入れたことが最も革新的で、
その後のキューバ音楽界の流れを変えてしまいました。
オーディエンスのダンスも見どころ。
洗練されてはいませんが、このエネルギーの
爆発感が当時のキューバをよく表しています。
(福田カズノブ)
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