野溝七生子
「山梔」拝読。
くちなし、と読むんですね。
作者は1897年生まれ
デビュー作だそうです。
実は
1885年生まれの野上弥生子と
空目して買った本ですが
1897年生まれの野溝七生子だった…
いや、でもこれは素晴らしい小説です。
女性たちは娘から嫁、妻となり
母となって、戸主に従い続ける、いわば
家父長制の犠牲になるしかない
時代において、抵抗を続けた
作者そのものを小説にしたようです。
話し合いが成立せず
殴りつけるだけの父。
娘への暴力を
私を殴ってください、ということでしか
解決できない母。
優しい存在であるがゆえに
決められた結婚に従う姉の緑。
女性の近代化へのおそれを隠さず
読書を否定し
結婚が一番だと説く嫂の京子。
ましてや軍人の家なのですから
その閉塞感たるや!
本を読み広い世界を学びたい
主人公阿字子(作者そのもの)の心は
壊れる寸前です。
実際の野溝氏は
こうした場所から逃げ出して
70歳くらいまで東洋大学で
教鞭をとり、ダダイスト辻潤はじめ
インテリ男性たちに
愛された存在だったよう。
しかし少女時代はままらなかった。
そのおかげで脳内の想像力が
ずば抜けて育ったということでしょうか。
本好きの少女から見た
世界の描写が
瑞々しく鮮烈なのことに驚きました。
これを書いたとき26歳だったということですが
こんなにも少女時代の細やかな感情を
表現できるものでしょうか。
こんな作家がいたとは。
解説で
かの矢川澄子も
「あなたはほんとにご立派で
素敵でした。
こんな同性が同世代として
目の前にいたならば、嫉妬と
羨望でこちらがどうにかなって
しまうにちがいない、と
思わせたほどの」
と、書いています。
また、冒頭に登場するの「調(しらべ)」
というやはり異質で主人公の
理解者である年長の女性と
交流する部分には皆川博子的な
幻想も感じました。
山尾悠子氏の解説で気付いたののですが
皆川博子は「辺境図書館」でこの小説を
紹介していたのでした。
うう。見落としていた…
皆川博子が見逃すはずない
作家なのに。
・・・
緑さま、あなたは
たびたびの夜の枕に、私の為に
揺籃の唄を歌ってくださいました時
愛は権利だといくたびか仰云って下さいました。
あなたの大きなセルロイドの櫛の歯が
阿字子の額髪を分け乍ら。
その時あなたの声は、海の向こうの
母さんたちが、そのいとし子の為にする
お祈祷の声よりも、もっと低く、そして
甘い声音だったのです。
緑さま、愛は権利だと
もう一度云って下さいまし。
そうしてそれをききます阿字子の心が
深く微笑し、うなずくことを
阿字子自身に眺めたく、また
緑さまにも見て戴きたいのでございます。
緑さま、阿字子がどうなっていきましても
幸福であるということを
知ってくださいまして、そして
お返事をお書き下さいまし。
それが阿字子の願っていますようになりませんでも
その為にあなたも阿字子も、決して痛み
傷つくことなどのございませんように。
神さまがあなたの御上を祝福して下さいましょう。
同じことを
どうぞ阿字子の上にも、念じて
念じて、お祈禱遊ばしてくださいまし。
ではさようならいたします。
・・・
DJ KAZURU
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