気に入って動向を追い続けている
翻訳家でエッセイスト、村井理子の
介護日記「義父母の介護」。
2016年に、なんか変だなと
義母の行動に疑問を持ったときから
コロナ禍を迎え、もう完全に義父も義母も
認知症になってしまった間の記録。
何度も同じことを確認されたり
いちどは同意したことを覆されたり
すべては義父母のために
奔走しているのに全否定されたり。
こういう状態になってしまい
毎日汗だくになってる人は多いと思うのだけれど
村井理子のように
何があったのか、何が問題だったのか
他人が理解できる程度に
文章でまとめられることができたら
それだけでデトックスだと思うのです。
認知症二人の世話をしていれば
怒り狂うこともあるだろうし
自分の精神もおかしくなって当たり前。
まず時間を奪われる。
そこでも
いずれ(言い方悪いけど)メシの種に
なるだろうと、記録をとるのが村井理子
なのですが、メシの種にならなくても
起きた出来事を記録し、冷静に
文章化できたらそこで何かの
フィルターを通り抜けたように
出来事が過去のことになるような
気がします。
もちろん大変な毎日は続くけど
客観性が入ることはとても重要。
村井理子のように笑いの要素で
読み手を面白がらせられなくてもいい。
誰かが読む前提で、書いてみると
己の状況が冷静に見られて
それが健康を支えてくれるような、そんな
気がしました。
まあ、村井理子は
誰かの人生のすべてを最期まで
しっかり見届けた先にあるものが
何かを確かめたい、とも言っていますが
そういうところが彼女の日常に
彩りを与えているのだよな、いやはや
物書きなんですね。
DJ KAZURU
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