「戯場国の森の眺め」
赤江瀑による歌舞伎、能、舞踊
などにまつわるエッセイ集です。
氏は芝居に精通しているので
最初「劇場国〜」かと思いましたが
戯場(ぎじょう)とはひとひねりある
タイトルです。
歌舞伎では出の芝居が
大事なんだ、とか
能の面の下にある能楽師の表情こそ
見てみたい、とか
若手に働きどころを作ってあげることの
大切さ、など
ははーっと膝を打つような話が
次から次へと出てきて
たまらない一冊でした。
しかしこういう本が絶版
図書館にいくつかあるだけというのは
悲しいですね…いつか手に入れたいけど。
さて、世阿弥の話もいっぱい出てきますが
世阿弥の初心について非常に
詳しく解説されていました。
この初心については誤解が多いので
赤江瀑の話が広まってほしいものです。
「花鏡」のなかで
世阿弥が言っているのは
学び始めた頃の謙虚な気持ちを
忘れるな、という
修身的なキレイなものではない。
初心の芸がどんなに未熟で
ぶざまで醜悪なものであったか
それを肝に銘じて記憶に刻みつけ
忘れてはならないと言っているのである。
だそうで、つまり
今の芸境がどれほどの上達点に
あるのかを比べるため。
現在の自分の芸の位を見失わないため
だそうで、これを忘れたら
もとの初心に逆戻りしてしまう
「現在の芸境が上がるか
下がるかの決め手になる初心」
ということらしい。
また
初心者の頃
壮年の時期
老後に至るまでその時分時分の
芸を忘れてはならぬ、という
意味もあるそうです。
最後に
「老後の初心を忘るべからず」
というのもあって、
これまで時分時分でわざを身に着け
老いたとしても、そこでまた
老境の風体に似合う技の習得が待っていて
これが老後の初心であると。
・・・
五十歳をすぎたら
「なにもしないという以外に
方途はない」
と、世阿弥は「風姿花伝」で
述べているが、なにもしないことのほかに
手立てはないといわれるほどの
困難な大仕事を、この老後に入って
やらなければならないなんて、これが
初心の芸でなくてなんであろうか、と
彼は言う
(中略)
初心を忘るれば、初心
子孫に伝はるべからず、と
世阿弥は結ぶ。
かえすがえすも、初心の芸を忘れずに
この初心ということの内容を
間違うことなく、相伝せよと。
初心、なんと至難な世界をはらんだ
言葉であることか。
・・・
いやあ、これだけでもすごいです。
こういう話がてんこ盛りの
一冊でした。
DJ KAZURU
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