幸田文展二回目…というのも
孫の青木奈緒による
ギャラリートークがあると知って
再び参上。
まず美しい
江戸の喋り方に驚きました
「が」の発音が特に。
京都の吉岡さんで
染めたという刈安の着物に
幸田文全集に本人がサインしてる時の
帯を合わせて、煉瓦色の帯締めで
いらっしゃいました。
戦火を経ているので、今残っている
幸田文の着物は60代以降に
作られたものばかり、だから
渋好みの印象なのかな、美しい色柄は
自分ではなく娘や孫に選んだそう。
とはいえ浴衣は女っぽい柄を
お召しになってたとか。
襟を全く抜かない着付けも
幸田家のスタイルだそう。
晩年山だの崖だのへ
ルポルタージュの取材へ行ったときも
身体を締め付けたり
調整が利かない洋服がどうも
気に入らず、靴下の作り
ひとつにも癇に障るという
着物生活だったらしい。
「祖母から贈られた
赤地に白梅、白地に紅梅二枚の着物」
の話が出てきたので
「ご著書で
後に染め替えたら不本意な
仕上がりになったという
赤地に白梅の着物は
結局袖を通したのか」
という内容で最後に質問
させていただきました。
結局気に入らなくて
しまい込んだままだって。
白地に紅梅のほうは
お似合いなのを写真で見てるだけに
残念なかんじですが、なんとか
思い出のある着物を着続けたいという
気持ちは素敵ですね。
幸田文のライフワークだった
木や草花は娘の青木玉が
崩れの崖などは青木奈緒が引き継ぐという
感じだったらしいですが
着物のことは幸田家の女系で
共に守るという感じなんでしょうね。
DJ KAZURU
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