「ナチュラルボーンチキン」
今年読んだ中でトップ5には
入る。
良いものを読ませていただきました。
読んだことのない物語を読んだという
この充足感よ!
金原ひとみの作品は
かなり読んでいるのだけど、まず思ったのは
最近の作品に特徴的な、エンジン全開の
疾走感が文体に見られないということ。
でもそれは最近の小説の主人公が
何かに駆り立てるように動いていたり
脳みそ混乱で言葉が駆け巡ったり
そういう人物だったから、文体も
激しいドライブ感があったのだと分かりました。
今回の主人公は
全てにおいて諦めきった45歳の
浜野さん。
毎日同じものを食べ
同じ服の色違いを揃えて出版社に行き
編集の仕事はやめたので
総務の仕事を淡々としている。
恋人も親しい友人もない。
母親は好きに生きているし
父親は倒れたと知らせがあっても
心が動かないような関係。
自立しているし、社会性もあるけど
なにもかも色を失ったような生活
そんな中年は多いかもしれない。
そこに距離を詰めてきた
同じ会社の若い女性がおり、引きずられるように
流行りの評判の美味しいものを
共に食べ、冒険したくない性質だった
彼女の変化が始まる。
連れて行かれた渋谷のライブハウスで
モッシュバンドに遭遇し、奇妙な外見をした
ボーカルの男【まさかさん】と
話をするようになる。
決まり切った毎日ではなく
朝まで飲んだり、ハイカロリーの
ものを食べたりするうちに、浜野さんにとって
まさかさんと時間が安息の時間に
なっていく。
40歳代の男女の関係は
今までに作られた傷があるだけに慎重で
浜野さんの幼児のような繊細さ慎重さに
まさかさんは穏やかに寄り添う。
まさかさんは
過去に出版社でアルバイトをしており
実は当時から意識していて
浜野さんに好意を持っていたことが分かる。
その頃浜野さんは
同業他社の編集者と結婚していた。
優秀な編集者である彼を
尊敬し、彼に可愛がられるという
構図に満足しながら、しかし
1人前に見られたいという矛盾は
社会が内包している矛盾と同じだと
気づいてしまう。
自分より若く
自分より賢すぎない女というだけで
夫に選ばれたのだと、浜野さんは
自覚し始めていた。
ここの描写はものすごく
今を表しているので抜粋します。
・・・
彼はけして差別的ではなかった
店員にもタクシーの運転手にも
丁寧な態度をとっていたし、ヘイトや
戦争、死刑にも反対の立場をとっていた。
でも彼は、とにかく強い女性が嫌いだった。
思想的に反対性であることはOK、でも
声の大きな女性に眉をひそめ
主張の強い女性を揶揄し
ビジュアルが派手な女性を冷笑した。
この世に怖いものなんて何もない
権力も男も私を屈服させることはできない
そういう態度の女性を現実や映画で見ると
彼はいつもうっすらと不愉快そうだった。
・・・
二人の関係を保つためだけの
不妊治療にお金も時間も精神も捧げるが
うまくいくはずなく疲弊しきった
浜野さん。
ルーティン生活にいたったのには
結婚、不妊治療、離婚、と
これ以上なく女性としての自分に
疲れ果てたからだったわけです。
何年も前に
トイレで泣いていた浜野さんを
見かけていたまさかさん。
その頃、浜野さんは
気づかなかったけど、彼女の
苦しみ、頑張りを
見てる人はいたのです。
まさかさんはけして
踏み込んでは来ない、ただ
浜野さんを受け入れ寄り添いたいと
思っている。
ずっとずっと彼女が好きだったというには
あまりにも薄い接点、それが薄皮のように
保たれて、年を重ね
40歳を過ぎて思いやりが前面にある
男女の付き合いが提示されたことに
私は感動を覚えました。
いいか、日本の作家たちよ。
中年の男女がセックスばっか求めてる
小説なんかもう読みたくないんだよ。
だいたい若い頃
やりまくってこなかった
中年が敵でも取るように
セックスで青春を取り戻すなんて
犬猫じゃないんだから気持ち悪いっつーの。
まっすぐに人と人の
深い交わりというものを考えた時
こういう物語が出てくるんだよ。
金原ひとみは
新しいステージに立ってる。
「蛇にピアス」の時感じた輝きは
本物だったと20年後に証明されました。
DJ KAZURU
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