桜庭一樹の「読まれる覚悟」で
氷室冴子が
編集者から
「あなた処女なんでしょ」
と、言われた件が取り上げられてました。
これは女性の作家がいかに不当に
軽く扱われているかの例なのですが
引用元の
「新版 いっぱしの女」を拝読して
そういう失礼なことは
編集者からも
評論家からも、一部の読者からも
言われていたことが分かりました。
そして親からも
結婚しないことを嘆かれ続けており
どんなに人気も才能もあっても
女は「立派な男と結婚」が
最高のゴールと親にいわれつづけて
本当に辛かったと察せられます。
これを書いた時氷室冴子は
35歳。
1957年生れの彼女は20歳代で
ヒットを飛ばしまくって
コバルト文庫大好きだった幼い自分の
記憶から考えても
すでにスター作家だった気が
するのです。
よくもまあそんな売れっ子作家に
インタビュアーたちは
なめた口を聞けたものだなあと
びっくりしますが、当時は
そうだったのでしょう、そして
時代が進んで
今でもそういうことはあるのです。
これは女だから軽く見てもいいという
社会問題なのですが、傷つくのは
個人というところが問題です。
一つの例が書かれていました。
口にするのもおぞましい写真が
ファンレターにまざって送られてきて
そこには
「おまえもこうしてやる。
されたいんだろう」
と書いてあった。という事件です。
以下引用します。
・・・
重要なのは
あるひとりの人間が(おそらく男が)
女というものに抱くささやかな妄想の
断片を、望みもしない私に見せようとする
衝動、あるいは欲望。
それらによって生じる
私の衝撃と不快感は、私が
“女であるから”であり、つまり
彼の悪意の矢は、逃れようのない
私の“女”の部分をめがけて
射掛けられたということ。それが
救いのない恐怖を呼びさます。
(中略)
あらゆる属性の中から
ただひとつ“女”の部分を
強制的にひきだされ、そこに
照準を合わせた暗闇からの悪意に
私はどう攻抗議できるのか。
対処できるのか。
私が私であるために受ける
不利益は甘受できる。けれど
宿命的に与えられた性に限定して
向けられる無記名の悪意は、その
無記名性ゆえに、私を
激しく傷つける。
恐慌におとしいれる。
もし、私が男性作家であったら
これが送られてくるだろうかという
怒りが、恐怖と苛立ちの底で
静かにめざめてゆく。
・・・
こうしたことを
無かったことにして忘れよう
我慢しておこう
そんな雰囲気が当時はあったのではないかと
察せられるのですが、氷室冴子は
文章に残したところがさすがです。
そしてこの数年で彼女に続くような
発言をする女性作家も
増えたような気がしています。まさに
桜庭一樹が書評というものの役割が
変わっていく時代、と感じたように
女性作家の問題も転換期を
迎えてる感じ。
私はこの本(2021年再販)は
男性にこそ読んで欲しいのだけど
男性の多くは読みたがらないと思います。
なぜなら既得権益の損失や
自分の地位が相対的に下がることへの
恐れが満載だから。
それを私も経験的に知ってるのですが
こういう現実に向き合わないと、もう
男性は人間でいられなくなる日も
近いのではないかしら。
希望を持ってそんな
予言をしておきます。
私のような市井の者でも
女がいかに世の中で
面倒くさいことを引き受けているか
いくらでも語ってあげられますからね。
DJ KAZURU
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