2000年6月、六本木の芋洗い坂のSweet Basilの
斜め向かいにあった小さなクラブ「Heat」が
ティンクーバのスタート会場でした。
第1回目のイベント名は実はティンクーバではなく
「復活 Cuban Salsa いっぱーいかけるよSP」。
オーガナイザーは、幻の日本語ティンバ・バンド
「Yaw」のリーダー、サイトウ・ヨウイチロウだったのです。
彼は、当時Charanga Habaneraのサウンドに、
なんと日本語を乗せることに成功し、
原宿のクロコダイルでは、デルソルやチェべレの
メンバーにも注目される存在でした。
そのサイトウ・ヨウイチロウの友人が
DJ KAZURUとTCC FUKUDAだったのです。
DJ KAZURUは、1998年に吉祥寺ハバナでDJデビュー。
「Cuban Salsa いっぱーいかけるよSP」をCu4と開催して、
大人気を博していました。この店には、現スダーダのDJが
店員で在籍していたエピソードも。
ところが、イベントは大盛況であったのにこの店がクローズ。
DJ KAZURUは、新たにPf TOGO氏と共に伝説のDJイベント
「トロピカル・アンダーグラウンド」をスタートさせます。
一方のTCC FUKUDAは、DJ SUDA氏の誘いで
原宿クロコダイルのSalsa de Dancin の専属DJに。
そこに、それぞれの友人であったサイトウ・ヨウイチロウが
六本木に2人がイベントをやったら面白い
ぴったりなクラブがあると、その時は友人でもなんでもなかった
2人をそれぞれくどいたのです。
当時、DJ KAZURUは、「トロピカル・アンダーグラウンド」と
サルホのDJ PapaQ氏と「Bar Salsa」の2本のメインDJを
務めていたので、新イベントのカラーはTCC FUKUDAの発案で
当時としては無謀なティンバ100%でスタートしました。
初回はなんと100人を超える人が集まり大成功。
翌月の2000年7月には、TCC FUKUDAがバンドを立ち上げた
時に密かに使おうと思っていた名称「TIMCUBA」を
イベント名として提供。
その中心にキューバの国旗から星をお借りし、
つのだ★ひろをまねて、「TIM★CUBA」と正式に命名しました。
これはティンバ・クバーナの略でティンクーバというひとつの造語。
現在サルサ・イベントに★が多くつけられていますが、
サルサではティンクーバが初採用だったのです。
このチラシをもって、同じ日に開催していたサルホに
イベントがバッティングしますが、よろしくお願いしますと挨拶に。
今では考えられないくらいに律儀ですが、
イベントは当時いくつかしかなかったのです。
サルホ、パチャンゲロ、この2つは現在も継続中、あとは
ヌエバ・プンタ、ラテン・ハーレム、トロピカル・アンダーグラウンド
その他、レッスンパーティがごく僅かでした。
ティンクーバは当時から、レッスンなし、パフォーマンスなし、
MCなし、音楽だけで勝負するというスタイルでスタートし、
現在もこのスタンスは全く変えずに続けています。
ティンクーバの精神は、今のサウンドをティンクーバ・テイストで
聴かせることにあるので、過去よりも未来志向型。
10周年記念なので、ちょっと立ち止まって当時のことを
少し振り返ってみました。
ここまで続いているのは、皆さんのご支持あってこそ。
DJのモチベーションは、皆さんに楽しんでもらえることに
あるのです。
続ける事、それもひけらかすことなく
淡々と続ける事
頭が下がる重いです
関東の人にはわからない
意外に肯定的なニュアンスをもった
関西弁「ぼちぼち」。
そんな感じでいきたいのですが、
ティンクーバは血管切れそうと
言われたりしています。
Add A Comment