ジル・スチュアート・カフェ
夏のメニュウ、マンゴーパフェ。
新宿伊勢丹にあってもよさそうな感じですが
心斎橋そごう内(今は大丸になっちゃったけど)で
のみ食べられます。
・・・
故・日限萬里子さんといえば
大阪アメリカ村の生みの親というか
70年代から
若者文化を引っ張ってきた人ということで
5年しか大阪に住んでいなかった私でも
「スゲエ人」という認識なわけです。
亡くなったとき、私は大阪に在住でして
雑誌等々でその偉業を改めて知りました。
彼女の最後のほうの仕事なのでしょうが
堀江のランドマーク・カフェ
ミュゼでお茶したこともありますし、きっと
アメリカ村でご商売されている方などは
みなさん日限氏に
足を向けて寝ることなどないのでしょうなと
思ってたのですが、晩年の彼女は
金銭的にもとても窮乏していたとかいうことを
知ってびっくりしました。
援助とかなかったんですね。
そんな彼女の発言
「パイオニアっていい言葉じゃないのよ
歩兵と一緒で、荒れ地の真ん中を
進んで真っ先に撃たれる役目」
・・・真実かもしれないけど悲しすぎる。
実際彼女が草分けた「アメリカ村」は
魅力の乏しい一画に成り果てたという印象ですし
堀江もお洒落な町だったのはせいぜいが
4,5年前までであったというところ。
ひとりの才気あふれる女性が起こした
ムーヴメントを受け継ぐ人がいなかったのか
彼女を支える人がいなかったのか
よそ者の私が憂うことではないのでしょうが
街の衰退の裏には本当に色々なことが
あったのでしょうね、と思った次第。
(DJ KAZURU)
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