本日の一本
トスカーナのヴェルメンティーノ。
トスカーナでもこの品種作っていたの
知らなかった。
飲み残しは料理に使います。スープや
肉の漬け込みにはもちろん
魚のムニエルとかでもよい香りが付く。
・・・
ホイットニー・ヒューストンが
急逝して、一番驚いたのは
現在のハタチくらいの人にとっては
すでに 「誰それ?」 な存在になっていたことですが
私はデビューの時から憧れをもって
聴いていたのでいろいろ
思うところありました。
中年に入って
彼女はいわばクサクサした
毎日を送っていたようですが、彼女のように
ローティーンのころから
才能バッキバキでデビュー話が
あっても、親族の大物歌手
ディオンヌ・ワーウィックさんに
「もっと、勉強してからデビューなさい」」と
たしなめられ
鍛錬を積んで、積んで
世に出てきた
本格的な歌手が今の時代くさってしまうのは
無理からぬことと思うのです。
才能もある、技量も磨いた
円熟の歌唱にも至った、けれど
世間は
ちょっと奇抜とかちょっとセクシーとか
ちょっと絵になるアーティストもどきばかりを
評価するでしょう、それは
時代のせいといえばそれまでですが
では、わたくしのような歌手は
もうこのショウビジネス界には
必要ないのね、とホイットニー嬢が
やる気失くすのは実に自然な流れ。
彼女のデビューあたりって
アナログ盤がまだ普通に流通していたころだけど
音楽が丁重に扱われていた
時代ともいえます。
「そよかぜの贈り物」の邦題で
流通したホイットニーのデビューアルバムを
聴いたころは、アニタ・ベイカーの
「RAPUTURE」 ってアルバムも出て
この2枚を、とにかくよく聴いたものです。
コドモ耳ではありましたが、アメリカの
ブラックミュージック業界が、当時の
知恵と技術と
音楽への愛をどかんと注いで
作り上げたアルバムなんで
あろうということはわかりました。
(DJ KAZURU)
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