今年のサルサ業界で
最も印象深かったのは
風営法の荒波だったかと思います。
そこで一斉に
現状の把握と
将来の模索となるわけですが
風営法が各業種に
どのような影響を与えてきたのか
歴史を知ると
また考えも変わろうというもの。
といいますのも
「名妓の夜咄」 岩下尚史 著
を読んでおりましたら
芸者の世界も
戦後の風営法のおかげで
だいぶ窮屈になったことが
書かれていたからです。
この本自体は
テレビドラマや映画で、現実とは
かけはなれた、三業地と混同するような
荒唐無稽な
芸者像が描かれ続けたことにより
一般にも芸者のなんたるかが
誤解されているので(ぶっちゃけ
枕芸者とか乱地気お座敷騒ぎ)
改めて、芸者とはなんぞやということを
おもに
大正期に妓席を挙げた
名妓たちに「花柳界の本格」を
語って頂きましょう、なる
企画の本。
そもそも
芸者になるには
小学校を出たころから
年季の契約をし
「芸」、つまり清元、常磐津、義太夫などの
三味線弾き唄いの稽古に励み、何年も
修業を積んでようやく
15歳で雛妓(半玉みたいな)、
そこから頑張って七年、一年の
お礼奉公を加え都合八年
経過したところで独立となり
自前で商売ができるという。
現在のキャバ嬢のように
衣装とヘアメイクを整えた瞬間から
若い女の誰もがやれる安易な
商売ではないわけです。
それが戦後の条例で
茶屋が料亭と改名され
18歳からでないと
お座敷に出られないこととなり
「18歳の振袖など見ていて気持ち悪い」
上に
その年から芸に励んだら
一人前になった時
大年増じゃないか、そりゃあないだろう
ということで
この業界もたいそう困ったそうですが
逆に
「中にはあった」という
悪いご主人の経営する
芸者屋での「水揚げの強要」などから
若い娘を守ることにも
なったというわけであります。
昭和30年ころまでの
名妓と呼ばれる集団は
器量の良さだけではなく
会話の妙、そして
三味線、唄の技術の高さは
歌舞伎の演奏家を超えるほどであったというから
女としては憧れるところであります。が
こういう人たちが消えていったのは
敗戦後の法律故なのか
その女たちを相手に
粋な遊びに興じる殿方たちが
衰退していったからなのか。。。
(DJ KAZURU)
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