タイトルが、まずは気に入って
手に取りました。
著者は小唄のお師匠さんしている方。
江戸文化をきわめた人っていうのは
何よりも野暮を軽蔑しているので
言葉のはしばしまで気が利いていて
楽しいです。
タイトルにもあるように
教養も色気もうんと身につけたうえで、ばっさり
削ぎ落とすことのできる
賢さのようなものが、粋につながる・・・のかしら?
小唄っていうのは
三味線と歌でやる音楽ですが
自由度も高く
非常に短い構成。
短い間にも
気の利いた歌詞で
四季のつれづれや
男女の機微を歌ったものもあったりして
なかなか興味深い。
邦楽も長唄、小唄
義太夫、などなど聴き分けがある程度でも
出来ますとがぜん楽しめます。
フィーリンやダンソンは聴き分けができるのに
邦楽は何を聴いてもひとつのものとしてしか
理解できないようでは
日本人として如何なものか、という
こともありますし・・・
今の季節にあわせますと
「春風が そよそよと
福は内へと この宿へ
鬼は外へと 梅が香そゆる
雨か 雪か ままよ ままよ
今夜も明日の晩も 居続けしょ
玉子酒」 (春風に)
なんてすてき。
節分の廓が舞台なんですね。
頭を働かせないと
意味が読み切れないものも多くあって
たとえば
「咲いた桜に なぜ駒つなぐ
大べらぼうな 心なし
そこでもって
駒が勇めば
ソンレ 花が散る」 (咲いた桜に)
なんていうのは
満開の桜の季節、馬を桜の木につないだら
桜が散ってしまってもったいない、と
いうふうな
唄かと思いますが、実は
幕末、坂本竜馬が高杉晋作と盃を
交わしていたときに
寺田屋での薩摩藩同士の切りあいが起こり
潔く討ち死にした男たちの
悲惨さを歌ったものだとか。
とてもそこまで読み切れない!
さらには
男(駒)と女(桜)に
たとえた
俗っぽい歌だという見方あるらしく、こちらは
言われてみればなるほどという感じ。それにしても
深い・・・・深すぎる
(DJ KAZURU)
Add A Comment