青山ソル・レヴァンテの
クレメ・カタラーナに
小さなカンノーリ。
イタリア菓子も好きです。
・・・
村田喜代子の「ゆうじょこう」で
女紅場なる娼妓の学校が出てきたことを
書きましたが
そこのお師匠さんの人物像が
また興味深いものでした。
作者は熊本の歓楽街という
狭い世界を舞台に選びつつ
非常に多くの女性像を描いています。
武家の娘であった
お師匠さんがなぜそのようなところで
働くに至ったかといえば
江戸が東京となったとき
禄高の低い下級武士の多くが
路頭に迷ったわけで
彼女も家族を守るために売られたから。
誇りを失わなかった彼女は
年季をつとめあげ
知識を見込まれ教師におさまります。
彼女は福沢諭吉が
明治32年連載が始まった
「新女大学」にて
学問において
男女の別はないと言っていることに
感激します。
彼女も、学問こそが
身を助けると信じて、女郎たちにも
知識を与えているから。
しかし、読み進めるうちに
そこで説かれている
「女子への公平な愛」は
「身分ある婦女子」にのみ
与えられているものであるとわかり
愕然とします。
私も驚いたのですが
「天は人の上に人を造らず」
と、言っている人が
「芸妓は人外」
「成り上がり出世しても人間以外の醜物」
つまり芸者、妾の類は
「人間でなく。畜生」
だと言っているのですね。
お師匠さんは
一見公平であるように見せかけ、内実
悲しい差別の考えは
福沢諭吉自身が下級武士の出であるから
階級差別の因習から
抜けられていないからではないかと
断じます。
以下、同じく武家から遊女になった友人に
ついてのお師匠さんの回想。
・・・
思い出すのは
昔、同じ運命を辿って売られた友達の
松橋威子という女性だった。
吉原で年季明けまで働きながら
書物を読み継ぎ、女子一般の稽古を修め
元土佐藩士の倅で東京帝大の
理学士となった人物に見初められ
結婚して今はドイツのベルリンという
町で暮らしている。
諭吉がこの威子と会ったなら
どういう挨拶をするだろうか。
福沢諭吉という人物は
下級武士の出であるそうだ。
上は清く、高く、貴く
下は濁り、低く、賤しい。
この恐るべき不平等不公平の思想が
育った土壌は、彼の
武士階級における低い身分に
よるものではないかと思う。
・・・
福沢諭吉の正体みたり、ってとこでしょうか。
明治30年代でも
このお師匠さんみたいに鋭い
女性はいたのかな。
そう考えると痛快痛快。
(DJ KAZURU)
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