北方謙三「棒の哀しみ」再読。
15年くらい前に
映画化されたのを劇場で観ました。
一見サラリーマンにしか見えない
地味なルックスのやくざ、その
「棒っきれ」ぶりを演じた
奥田英二が
最高に格好良かった記憶が。
文庫買い直しして
あれっと思ったのですが
単純なやくざものではなく
実に詩情あふれる短編集でした。
暴力描写はもちろん多いし
女性を物のように扱ったり
やくざの生活そのものが
描かれますが
妙な静寂を感じる、不思議な作品。
比較するような作品が見当たらなくて
独特の時間の流れに
やられてしまいました。
ここでのテーマは
やくざの生き方ではなく
男が自分で人生を切り開くには
如何に、ということなのだよな。
用意されたものに
乗っかるだけの人生で
いいのかい、ってこと。
北方謙三氏ご自身も
エッセイでも書いていたけど
警察でもやくざでも
その機構、組織を細かく書いて
リアリティありきの小説を構築するのではなく
人間を深く書くことに
重きを置いている。
だから少々の時代が流れても
読んでいて引き付けられるのでしょう。
今時
こんなやくざいないよって
いう人もあるかもしれませんが
こういう生き方には
古いも新しいも
ないのであります。
やくざには
家族などいないほうがいい、と
単純に俺は考えていた。
人並みのことを
していい人種ではないのだ。
卑下しているわけではない。
人並みのことしかやれなくなる。
そういう男を
何人も見てきた。
棒っきれのように生き
棒っきれのようにくたばる。
昔も今も、それが
変わっているはずはない。
棒っきれ以外の
なにものでもない生き方をしてきたのだ。
(DJ KAZURU)
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