井上理津子 著
「葬送の仕事師たち」拝読。
わたくしは
ほんの数年だけど
葬祭業やってた。
この本に出てくるような
葬祭専門学校に
通ったわけでもなく
親が葬儀屋だったわけでもないけど
葬祭業者の面接にいってみたら
「じゃ、今から
現場出られる?」
みたいな気軽さで
あっという間に
黒スーツでお通夜会場に
立っていたのだよね・・・
学歴も自己アピール力も
不要で、臨機応変に動ける人間が
求められていることは
すぐに分かりました。
そして
見よう見まねで(誰も教えてくれないし
研修的なものもなかった)最終的には
社葬の司会までやっていた・・・
此処に出てくる専門学校に
2年とはいわず、三か月でも通ったら
知識が身について
良かっただろうなあ、と
しみじみ感じます。
しかし
考えてみれば自分は
お通夜と告別式、
火葬場での収骨を
時間通りに仕切るだけの
ことしかしていなかったわけで
どちらかというと
生きている人相手(葬家
喪主、会葬者、僧侶)の
仕事しかしていなかった。
せいぜい棺の中の
ドライアイスを取り換えるくらいしか
したことなくて
ご遺体にふれる、ということは
無いに等しかったのです。
この本には
エンバーミングという
腐敗したり、傷ついてしまった
遺体の修復を手掛ける職業の
方をかなり大きくとりあげており
これは
すさまじい、と感じました。
まさにご遺体相手の仕事。
遺体と向き合う中で
これほど
「生きる」ことを考える職業も
ないというか、彼らの日々
背負っている覚悟に
敬服するばかり。
特に震災での遺体収容所を
経験した方々の
言葉は重かった。
個人的には遺体にメイクとか
必要なのだろうか、と疑問に
思っていましたが、彼らの仕事は
「お化粧」とは全然違うのですね。
人生の終わりにどのような
姿で周囲の人とお別れするのかは
大きな意味があると分かりました。
そんなことにも
気が付かなかったくらい、わたくしは
比較的平穏なご遺体にしか
出会っていなかったということでしょう。
かつては
「事情があり、お見せできない」
ご遺体は
「見せない」ということで
葬儀が進めらていました。
しかし修復技術が広く知られていれば
それによって
対面してから火葬という運びに
出来たケースもあったのか・・・
エンバーミングそのものの
普及度も今はだいぶ
進んだのかも知れません。
また
火葬場で働く人への
聞き取りも深く行われており
いわゆる禁じられたゾーンである
「炉裏」の話も
細かく書かれてしまっています。
エンバーミング同様
火葬についても
自分は表面的な部分しか
見てこなかったことを
思い知らされたのでした。
色々考えることありすぎて
大変な本。。。
(DJ KAZURU)
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